少子化の正体

「80・2.0の壁」とは?

エボシとジコ坊の素性

エボシ御前のプロフィール?

  タタラ集団を率いるエボシは、この物語の重要人物です。しかしその素性についてはまったく触れられていません。仕方がありませんから、ここで「トンデモ説」を展開してみましょう。結論からいいますと、彼女は日本から明国へ朝貢された女性だったのです。

 エボシは、まず見た目が際立った美人です。立ち居振るまいは凛々しく、女が持つには重いと自ら認める石火矢を自由に使いこなしています。ナゴの守の体内から出てきた弾丸をアシタカが見せると、「まちがいない。私が放った鉄つぶてだ。」と自供します。

 剣を取れば、もののけ姫ことサンと互角に渡り合いました。加えてタタラ場全軍を率いるほどの統率力があり、明確な戦術を立てて戦闘を開始すると、「タタラ場が侍に襲われている。すぐ戻れ。」というアシタカからの情報にも、撤退の意思をみせませんでした。

 また「まるで城だな」とアシタカにいわせたタタラ場の経営者でもあります。石火矢は明国から取り寄せていますから密貿易も行っていることを示しています。さらには病者の手当ての仕方も十分に知っていて、どうやらこの疫病は感染力が弱いことも感じているようですから、医学知識も豊富なようです。

 さて見た目や気性は天賦のものとしても、そのほかはすべて習得した能力ですから、この習得した能力をつなげば、彼女の素性が浮かび上がるはずです。

 

朝廷の女官

 まず生まれは、守護大名家の3女です。幼少期から読み書きはもちろん、剣術も習いました。女の子ですから、護身術程度で良かったのですが、気性からか、それでは飽き足らず男の子たちに混じって剣術の稽古に励みました。そうしたところ、男の子たちを打ち負かすほどに上達したのです。

姉2人は、どちらかが跡目の養子を迎えるために型にはまった躾を受けていましたが、3女のエボシは自由放任だったのです。

それでも父は、少しは慎ましやかな作法を身につけさせようと、朝廷の女官に任用してもらうことにしました。もちろん守護大名ですから、首尾よくすすめば政権内での権勢を拡大できるという計算もしていたでしょう。そして高い身分をもらい、そこから幕府に出向することになったのです。エボシは「烏帽子」を連想させますが、それは間違いではないのです。

幕府に出向させた理由は、明国からの使者をもてなすためでした。足利義光が建てた金閣寺が迎賓館だったことはよく知られています。ほかの女官たちとは違う雰囲気を持つエボシは、どうしても浮いてしまい、その分だけ明国の使者の目に留まってしまいました。

使者は、明国皇帝がかつて寵愛した誰かに似ていると思い、エボシと天井を交互に見やり、時々は頭を掻きながら俯くのですが、どうしてもその名を思い出せませんでした。しかし皇帝がエボシを気に入るのは間違いないだろうという自信がありましたから、明国へ連れて帰りたいと幕府側に申し出たのです。

幕府側も父君も、明国皇帝に仕えるのなら名誉なことであると、これを快く承諾しました。エボシは、男たちに対す反感をこれまでになんとなく感じていましたが、それが何であるのか、このとき明確に自覚しました。それは男社会の権力構造の中で優位な立場に上がろうと、他人を道具のように扱うことへの憤りだったのです。

明国の宮廷に入ってからは、もともと明国からの使者の接待係であったことから、少しは出来ていた中国語にもまたたく間に磨きがかかりました。医学書や兵法の書物を読んでは、宮廷内の専門家たちを質問攻めにして、数年のうちに彼らをうならせるほどの知識を身につけたのです。

そうしたある日、用務のために城外に出て、日本の女性たちが奴隷としてマカオに入っていることを知りました。連れて来ていたのはまだポルトガル船ではなく、倭寇とは名乗っていましたが中国の海賊たちだったのです。

それからというもの、船を奪い女性たちを連れて日本に逃げ帰る方法を考え続けました。そして武力で船を奪うのではなく、船員も含めてすべて買い取れはよい。代金は宮廷から盗めば済むという結論に達します。兵法がすでに身についていたのです。そしてそれを実行する日が来ました。宮廷から金銀を盗みだすときに、勘合貿易用の割印に、もうひとつ予備があり、それも一緒に持ち出したのです。予備ですから、無くなったことには誰も気が付きませんでした。

こうして日本に帰りついたエボシは、偽りの勘合貿易で明国から石火矢を調達することができるようになったのです。

こうして日本の幕府や明国の宮廷を内部からつぶさに見たエボシには、理想の国の形が明確にあり、それを造り上げようとしていました。しかし目の前に立ちはだかりそれを邪魔するものたちがいたのです。

 ジコ坊は特殊工作員

 シシ神の首を狙い、エボシをシシ神殺しに駆り立てるのはジコ坊です。では彼は何者か。正体は明らかにされていませんが、いわばミッション・インポシブルを命令された特殊工作員でしょう。どこにでも居そうな中年で、見た目の格好良さはありませんが、それこそが一流の特殊工作員である証です。なぜなら、だれも気に留めず、まただれの記憶にも残り難いからです。

姿は一本歯の下駄を履いた旅の修験者の風体で、一人称は「拙僧」ですから、一応の宗教家に見えます。これなら里にいても、山の中に居ても不審ではありません。しかし見た目より、はるかに文武に優れているのです。逆にいいますと、その文武を上手く隠しています。見た目のほか、性格も飄々としてあまり物事にこだわらないようです。

さてジコ坊の文武のうち、まず武から検討してみましょう。市場で砂金を出したアシタカの懐を狙った男たちに付けられているのを察したジコ坊は、戦うこともできたでしょう。しかしそのような無駄な事はしません。走って逃げようとアシタカに告げます。そしてヤックルと同じ速度で走るのです。

それからシシ神の森で、まるで小鳥の白色セキレイのように小川の石から石へ、一本歯の下駄で軽快に飛んで渡るシーンもあります。さらにシシ神の首を取り返しに来たアシタカの警戒を解く言動のあと、すぐに鋭い蹴りを繰り出してきました。つまり並の武芸者ではないようです。

 

相当な知識人

もう一方の「文」はもっと深みがあります。まず最初の登場である、アシタカが米の代金として砂金を出した時です。砂金を知っているだけではなく、米を売る女をうまく煽動して、その場を逃れます。

その夜はアシタカと野宿しました。アシタカが旅のわけを話すと、ジコ坊は独り言のようにこうつぶやきます。

「この前来た時には、ここにもそれなりの村があったのだが、洪水か地すべりか、さぞたくさん死んだろうに、戦・いき倒れ・病に飢え、人界は恨みをのんで死んだ亡者でひしめいている。タタリというならこの世はタタリそのもの。」

そもそもアシタカとジコ坊では知識と経験が違いすぎて、具体的なこと以外は話がかみ合いません。しかしジコ坊のつぶやきは続きます。

「人はいずれ死ぬ。早いか遅いかだけだ。」 

ジコ坊は仏教的な諸行無常を会得しています。単に知ることと会得とでは、格段の差があります。この後も終始、情動に翻弄されることはありませんから、高僧でもあるようです。

さらにつぶやきは続きます。「そなたを見ていると、古い書に伝わる古の民を思いだす。『東の果てにアカシシにまたがり石のやじりを使う、勇壮なるエミシの一族あり』とな。」

つまり古文書も読んでいる。またそうした環境に居たということです。印刷技術がなかった時代ですから、写本するしか増刷しようがありませんでした。まとまった蔵書があるのは、朝廷や幕府あるいは大寺院くらいだったでしょう。 

やがて打ち解けたアシタカが、ナゴの守の体内から出てきた石のつぶてを見せると、すべて知っているはずですが、こう答えます。

「これより西へ西へと進むと、山の奥また山奥に、人を寄せ付けぬシシ神の森があると聞く。」それを聞いたアシタカは、そこに行けば何か分かるかも知れないと、誘導されました。

 

なかなかの策士

翌朝、静かに旅立つアシタカに気づかぬふりで寝ているジコ坊は「やはり行くか」とつぶやきますから、行けば分かるということを伝えたのか、それともこれから始まるシシ神殺しに参入させようとしたのかは分かりません。ともかくも目的を持って情報を操り、人を動かす力を持った人物であることはまちがいないようです。

またシシ神退治に向かう直前に、「まさか、そなたまでシシ神の首に不老不死の力があると、思ってはいまいな」とエボシに問われたジコ坊は、こう答えます。

「やんごとなき方々や、師匠連の考えはわしには分からん、分からんほうがいい。」

 知りすぎると自分の命が危ないことを知っている完璧な工作員です。

この会話の中に、キーワードが出てきました。「不老不死の力」と「師匠連」です。加えて「ジバシリ」と「唐傘連」が登場します。これらがジコ坊の正体と、彼とエボシとの関係を解くカギになりそうです。まずジコ坊の行動の目的は不老不死の効能があると思われているシシ神の首を手にすることです。この使命を達成するために3つの集団を率いているのですが、この中でもっとも単純な組織は「ジバシリ」です。

もともとは現地の狩人たちですから、カネか地位かを与える密約で、ジコ坊が組織化したのでしょう。本物かどうかは定かではありませんが、シシ神殺しを許可したミカドの書付を持っていることが役に立ったと、エボシに白状していますから、自分はミカドの使者であると信用させたのかも知れません。

次が師匠連です。ジコ坊はこの組織の一員のようです。彼はこの組織の部下を、石火矢隊としてエボシに貸し与え、その代わりとしてシシ神の首をもらい受ける約束なのでしょう。

「あの女がいなくとも・・」とジバシリのひとりが言うと、「神殺しは怖いぞ、あいつにやってもらわにゃ。」と、答えています。

シシ神はケモノとはいえ神ですから、神殺しに直接手を染めたくないというのがジコ坊の意思なのです。 

シシ神の首をアシタカと争奪する最終場面でも、アシタカには通じない説教をします。

「わからんヤツだな。」「天地の間にあるすべての物を欲するは人の業というものだ。」

そしていよいよ、シシ神の首をアシタカたちに取り返され、シシ神に返すのを見届けた彼には怒りも落胆もない様子で「バカには勝てん」との、ひと言だけでした。「バカ」とは、「無欲な者」という意味なのでしょう。

さて、ジバシリと師匠連が居れば、ジコ坊のミッションは達成できそうなのですが、そうしますと浮いてしまうのが唐傘連です。ジコ坊も唐傘を携帯していますから、この一員でもあるようです。では唐傘連とは何者たちでしょう。