少子化の正体

「80・2.0の壁」とは?

森の崩壊が起こした自然災害

  デイダラボッチの死に象徴される森の崩壊とともに、黒い粘調なもうひとつのドロドロがタタラ場に流れ込みます。そして崩壊した建物が溶鉱炉に接したのでしょう、大屋根が火災を起こしました。

この黒いドロドロは土石流でしょう。雨も降っていないのに土石流が発生しています。それはなぜでしょうか。実はシシ神の泉だけではなく、草木の根が持つスポンジのような保水力がなくなったからです。これらの水が森の表土を溶かしながら、土石流を形成してタタラ場を襲ったわけです。

森が無くなると、水の流れも大きく変化します。たとえばタタラ場の渓流は雨が降れば鉄砲水、降らなければすぐに川底の乾燥を繰り返し、もう砂鉄も取れなくなります。なぜなら行く川の流れだけではなく、川底の小石や砂もまた絶えずしてもとのものにあらずだからです。つまり川底の小石や砂も循環しているわけです。だからこそ砂鉄を浚えてもまた流れ着き溜まっていたのでした。

タタラ場が崩壊した後に、エボシが言います。「みんな、始めからやり直しだ。ここをいい村にしよう。」

いい村にするためには、まず渓流を再生しなければいけません。そうしないと砂鉄どころか、良質な生活水にも困るからです。そして渓流を再生するためには、まず木を植えなければいけないのです。

 

世界中に残る洪水伝説 

ところで洪水が起きる最大の要因は、もちろん雨量ですが、二次的な要因としては森林の伐採が影響しているでしょう。ジコ坊とアシタカが野宿したときに、ジコ坊が村の崩壊の原因を洪水か地滑りかとつぶやきます。

 実は樹木の乱伐による森林の消失とともに崩壊したともいえる古代文明がいくつもあります。まずはメソポタミアのシュメール文明です。現在のイラク周辺が、豊かな森林で覆われ大河が流れていたとは、今となっては想像し難いことです。森林はやはり、レンガ製造や青銅造りのための燃料として伐採消費され続けました。

そしてやはり洪水が頻発するようになります。旧約聖書の「ノアの箱舟」もこうした大洪水をモチーフにしているのかもしれません。ノアが神の助言で地上に造った三階立ての家のような箱舟は、ノアの家族と家畜たちも載せて水に浮き上がり、地上にあるそのほかの物は山々までもが、すべて水没したという話です。

当時の有力者たちも森林の伐採を控えようと、火焼きレンガをやめて、天日干しでの製作に切り替えたりしました。しかしやがて北部の小アジアヒッタイトが鉄を作るようになって森林伐採は止まらなくなります。さらに鉄の斧を手にしますから伐採は加速したのです。そしてついには地上から蒸発した水分が雲を作りまた雨を降らせるという気象循環も止まり、砂漠化への流れが完成してしまいました。

人々は森林を求めてエジプトへ移動して、同じく森林を枯渇させ洪水を繰りかえしながら、またもや森林を砂漠に変えました。それから地中海を渡りギリシャ・ローマへと移動します。やはり洪水は土石流になり表土を流しますから、土地は赤土がむき出しになり痩せて、オリーブやブドウなど根を深く張るもの以外の作物は減少して、飢餓と疫病が頻発するようになりました。

それに加えてローマでは、軍用と商用の大量の舟を必要としましたから、ますます木材の需要は上がりました。そして森林が消滅した痕に沼地が広がりました。そこに蚊が大量に発生しますから、古代ローマではマラリアも流行するようになったのです。

ところが植林しなくても、移動すれば森林は無限に広がっているように見えますから、ローマはイタリア半島北部からさらにガリアと言われていたフランス側へと兵を進めて支配したのです。さらに人々はそこからドイツ側へと、まるで緑を食いつくすバッタの大群なみの移動を繰り返したのです。

このようにしてシュメール文明は森林を求めて西へ重心を移して行きますが、その東側のアジアに、かつて勃興したインダス文明もまた洪水に押し流れてしまいました。その中心都市のモヘンジョ・ダロは、敵の襲撃に備えて難攻不落の城を築こうと、城壁や要塞をレンガで固めました。レンガで囲えば堅固な千年の都ができるはずでした。しかし大量のレンガを生産するために、広範な森林が伐採されたのです。そうすると洪水が頻発するようになり、修復のためにさらに森林を伐採してレンガを作る必要に迫られたでしょう。森林伐採と洪水はマッチポンプになってしまったのです。

こうしてモンヘンジョ・ダロは歴史になりました。すなわち記録に残るだけです。

梅雨と稲作が森を再生させた

さてエボシは「ここをいい村にしよう。」と言いましたから、そこに留まったでしょう。そしてエボシもヒイ様と同じくらいの年齢になって、森を回復したことでしょう。それはサンが言ったとおり、もはやシシ神の森ではなく、のちに里山といわれる新たな森でした。

メソポタミや古代エジプト・ローマとは異なり、日本で森が再生された要因は、2つ考えられます。ひとつは亜熱帯モンスーン気候の梅雨があることです。海からの蒸気を含んだ雲は1ヶ月間以上に渡り日本の上空を覆い雨を降らせます。水害も頻発しますが、初夏の若葉の時期ですから草木も茂り、森林は再生される方に向かいます。

もうひとつは稲作です。日本の主食は小麦ではなく米ですから、棚田を開墾するには渓流か湧き水が必要です。水源地は森林であることを、人々は十分に知っていたのです。一方で日常生活のための燃料としての薪や炭も必要でしたが、再生可能な範囲での伐採に留めたのです。こうして村の周辺に森林が再生され里山といわれるようになったのでした。

 

塵旋風(じんせんぷう)

さて2つ目の自然災害です。土石流のあと、タタラ場を襲って、焼け残った板や算木のすべてを空に舞い上げた突風はなぜ起きたのでしょう。あれもやはりシシ神の森の消失が原因でしょう。あの風はおそらく塵旋風です。単に旋風や辻風ともいわれる、局地的な突風です。

竜巻が曇り空の下に発生するのとは対象的に、塵旋風は晴れた空の下で地表の温度が上昇することが、ひとつの発生要因になるといわれます。あの瞬間は、確かに「晴れた空」「地表の温度上昇」という、2つの要因を満たしています。すなわち朝日は昇り、森が消滅して地面がむき出しになっていたからです。森林は温度変化も穏やかにする緩衝作用がありますが、それが消失したわけですから、朝日を浴びた大地は急激に表面温度を上げ、上昇気流を創ったのでしょう。

加えて火災も発生していましたから、上昇気流が発生して、さらに旋風を後押ししたでしょう。このように、物語の最後の場面で発生した土石流と突風の原因も、やはりシシ神の森の崩壊だったのです。つまり森の中で起きたバイオ・ハザードも、タタラ場に起きた土石流と突風という自然災害も、もとはといえばシシ神の森の崩壊が原因なのです。  

さらに森の崩壊の遠因は「不老不死」を欲する「やんごとなき方々」の尽きない欲望でしょう。