少子化の正体

「80・2.0の壁」とは?

第1次ベビーブームの背景は戦後復興経済

 

 無傷で残った戦時経済体制

 戦後2回のベビーブームの要因を、まず第一次ブームから「鳥の目」で眺めてみましょう。(当時のマクロ経済に関することがらは、「戦後経済史(7)」から引用します。)

グラウンド・ゼロからの復興
愛は生きていた?

戦後、GHQによって陸海軍と財閥が解体されました。逆に言いますと、解体された主だった組織はこのふたつだけで、戦争を推進したほかの官僚機構はそのまま残ったのです。占領軍の将校が、日本語で書かれた役所資料の山を、短期間に読めるわけではありませんでしたから、生き残りの方法は「看板の掛け替え」でした。名称に「軍」と付くものは改名しなければ、解体されるだけではなく、戦犯探しの対象になる恐れもありました。 

統制経済で軍需関連企業を所轄した「軍需省」は、マッカーサーが厚木に降り立つ数日前に「商工省」という看板を掲げました。その後、この機構は通商産業省(通産省)にかわり、現在の国土交通省へと、出世魚なみの名称変更となっています。つまり戦前の統制経済は、戦後もそのまま残り、皮肉なことにその機能が十分に発揮されたのは戦後だったのです。

戦後といえども、国家社会主義にもとづく統制経済ですから、「不要不急」の経済活動は「自粛」が求められ、官民一体型の「補助金」による復興政策が実施されました。まず戦費調達のための戦時補償の打ち切り、すなわち政府債務の不履行に伴う金融機関の損失を補填しました。復興資金の流れを円滑にするためのインフラ整備だった、ともいえるでしょう。

次が基幹産業の再建です。ここでとられた官民一体型の政策は「傾斜生産方式」とも言われています。つまり石炭産業は損失を承知で、鉄鋼産業に安値で納品します。鉄鋼産業は石炭を安価で仕入れても、鉄鋼石を輸入しますから、それなりの価格転嫁が必要ですが、ここでも損失を出して加工メーカーに納品します。企業間取引が行わるにしたがい、価格があたかも右肩下がりに通常の経済活動とは逆に傾斜しています。

補助金による計画経済の概要

これらの損失を補助金で賄ったわけです。政府が国債を日銀に買わせると、財政ファイナンスで戦時体制そのものになります。そこで復興金融金庫という外郭組織を創り、ここが復興金融債を発行して日銀に買わせて、日本銀行券(現金)を手に入れて、傾斜方式の補助金の原資にしたのです。

 経済規模は毎年2倍増のスピードで回復しました。これを経済成長としてとらえますと、未曽有の前年度比200%になります。

戦後復興期のGNP(国民総生産)の推移

暦年    金額(円)

1946     4740億

1947   1兆3090億

1948   2兆6660億 

  資料:「戦後経済史(7)」

 

 この経済の急拡大がベビーブームの原動力になったのではないかと考えられるのです。民衆の感覚としても、戦争の再発や動乱はもうなく、働けば食べていけるという実感が出てきたでしょう。年間250万人を超える出生数が3年も続き、戦争で失った人口を、数の上では回復したのでした。

1948年ごろの風景 場所は渋谷駅周辺?

ここで戦後復興経済がベビーブームの一つの要因だとしますと、その頂点の49年あたりでそれが下方転換していなければ、この説は成り立ちません。では実際にはどうだったのでしょう。やはり49年を堺に戦後復興経済はひとまず冷却されました。

というのもインフレが起きたからです。復興金融債を発行して日銀券(現金)と交換するだけ、いうなれば印刷物と別の柄の印刷物に交換するだけで富が創造されるのですから、どうにも止まらない異次元緩和だったのです。

インフレの火種はすでに46年からみられています。この年に実施された「新円切り替え」がインフレの原因というのが通念ですが、逆にインフレになったから通貨の切り替えが必要になったとする見方もあります。「泥棒すら、現金には目もくれず、食料や物品を盗んだ」と言われるくらい、貨幣の信用は失墜していたのです。

インフレは社会混乱を引き起こし、日本統治計画が混乱すると考えたのか、48年には銀行家のジョゼフ・ドッジと経済学者のカール・シャウプがGHQによって日本に招聘されました。ドッジが行ったのがインフレ率を下げるための緊縮財政で「ドッジ・ライン」として知られています。また税制の方向性を決めた「シャウプ勧告」も、内容の理解はともかく、用語としては有名でしょう。

どちらも官僚が外圧を利用しただけだという説もありますが、ともかく、ドッジ案によって49年から、緊縮財政に変わりました。不況の到来ですが、GHQといえば誰も逆らえませんから、国民は「しかたがない。」と従うよりほかなかったのでしょう。

 しかし一方では、生活苦から労働争議が頻発しました。トヨタ自動車ですら、こうした争議に巻き込まれています。おりしも、朝鮮民主主義人民共和国中華人民共和国の建国が宣言されて、日本でも共産主義革命が起きるかとすら思われた時代に突入しました。

 民衆が共有する社会気分は将来不安どころか、明日の生活をも心配しますから、当然ながら出生数は減少に転じます。しかし不況の始まりが49年であるにも関わらず、むしろ日本の人口統計史上最高の269万人以上の出産ラッシュであったのは、なぜか。それは人間の妊娠期間は40週間ありますから、この程度のタイムラグは容易に発生するのです。