少子化の正体

「80・2.0の壁」とは?

ベビーブーム世代の悲劇―親はリストラ・子は氷河

90年代は生産性に富む人口構成だったのに、なぜデフレ

 昨年(2022年)の出生数が80万人を割り込んだことから、経済が浮上しない・社会が瓦解するなど、産めよ増やせよの世論が喚起されています。また、かねてより「失われた30年」あるいは「デフレの30年」の原因は少子化による労働力の減少にあるという認識も広く共有されています。

 でもそれはホントでしょうか。その答えは就職氷河期と言われた90年代にあるでしょう。

ここで、バブル崩壊当時を振り返ってみましょう。最初に動いたのは、やはり謎に包まれた異次元の組織・日銀でした。資産価格とりわけ地価の高騰を抑制しようと、1989(平成元年)年以降、金融政策を引締めに転じ、公定歩合は5月以降数次にわたって引上げた結果、89年初頭の2.5%から翌90年8月には6.0%に達しました。

また、89年4月に導入された「消費税」が景気にビックリ水をかけ、90年3月に導入された「不動産融資総量規制」、続いて92年1月の「地価税」などにより、90年1月の株価暴落に続き、91年にはついに土地神話も終わり、日本経済は氷河期に入りました。

ここで当時(90年)の人口ピラミッドを見てみましょう。

過去最強の人口構成

団塊の世代は、最も生産性が高いといわれる、働き盛りの40才代前半の年齢層に翼を形成しています。またそのジュニア世代は16才を中心に厚みのある第2の翼を広げています。統計上の生産人口にカウントされる年令は15才からですが、この頃すでにほぼ全員が高校を卒業し、その半数がさらに専門学校か大学に進学する時代に入っていましたから、現実的な就労は平均して20才からだったとしても、生産性に富む人口構成だったのです。

  工業化が起きる初期には、たいていの国において、扶養を必要とする年少人口と退職者が多い65才以上の合算人口よりも、その中間の生産人口比が高い人口構成を示していて、「人口ボーナス」とよばれています。日本でいいますと1960年から1970年前半までの、経済高度成長期がそれにあたるでしょう。すでに15才以下の年齢階層は減少傾向にありますが、そのことが生産性に影響を与えるのは、早くても10年後から徐々にであって、当座は被扶養者が少ない身軽な人口構成なのです。

 各家庭を社会全体で集めた結果が、人口構成ですから、元の各家庭も総じて身軽な家族構成であったわけです。つまり久々にもらった「ボーナス」だったのです。

ではこの人口構成を原動力として、バブル崩壊後の経済を立て直せたのかといいますと、むしろ「2枚の翼を落とす」方向に社会は動き出しました。バブルの形成から崩壊までの「犯人さがし」「バブルの紳士たちの犯罪性」など、見飽きるほどマスコミを賑わせていました。政府は「1940年体制」での統制経済で、土木建設投資への財政出動を繰り返しました。国民の側もそのうちに不況も終わるだろうと、思っていたでしょう。戦後ずっと、そうした好不況の繰り返しだったからです。

しかしバブルの形成と崩壊のなかで、日本社会が他人事と思って織り込めていなかった、歴史的な事実が起きていたのです。それは冷戦の終結です。

遠い異国のことに思えた「ベルリンの壁崩壊」

これで東側とくに中国の「改革開放」が本格化したのです。有り余る資本を持つ米国も、それまで自動車や半導体分野での日本の強みを叩いたジャパン・バッシングから、中国に投資をシフトします。競合する日本は沈没しつつありましたから、中国を使うことで、自らの製造業の弱みを克服しようということだったのでしょう。日本でも中国生産による低価格化、すなわちユニクロ化に拍車が掛かります。この流れは、単に「良い物安く」といった、これまでの価値観の量的な変化だけではなく。日本において工業化が終了したという、質的な変化を意味していたのです。

 振り返りますと、日本では戦後、就労人口は加速的に農業から工業へシフトしました。それが国民所得を増やし、人口の増加のエネルギーになったのですが、その工業が東西の壁が崩壊して、中国を始め国外へ流出したのです。

結果からレトロに見てみますと、人口ボーナスが有効なのは、工業化の時代だということでしょう。当時の日本は、いわゆる日米半導体協定が91年にやっと終わり、バブル経済も崩壊しましたから、部分的にでも製造業へのシフトも必要だったでしょうが、96年まで半導体協定を更新しました。つまり後先は考えず言われるがままに、主力の製造業に足かせを付けたのです。

 昭和期に蓄積した資本は製造業の海外移転とともに国外流出し、国内での財テクはシャボン玉になって、虹色の残像を残して消えてしまいました。

 もはや、まだ未成熟なサービス業しか豊富な労働人口の受け皿は残っていっませんでした。時給1000円以下で、飲食店や介護施設で働くということです。

こうした流れの中で、指摘されてい経済の問題点は設備・負債・雇用の「3つの過剰」でした。つまり企業は、自社の生産性以上に借金をして設備投資をし、人も雇い過ぎている、ということだったのです。

 こうして産業の再構築(リストラクション)が声高にさけばれたのですが、いつのまにかこの用語はリストラと短縮され、単に「解雇」を意味するようになったのです。「リストラされた。」という人たちが、第一の人口の翼から続出しました。ただ日本の官僚機構の背景である国家社会主義は悪いことばかりではなく、「弱者の保護」も重要な項目ですから、雇い主の都合による労働者の解雇は、ハードルが高いのです。

“自主的”に辞表を書いてもらおうと、「窓際族」ならまだしも、窓がない「反省部屋」も問題になりました。

それならばと、新規採用を削減する、あるいは解雇しやすいように非正規労働者にするということで第2の翼も経済活動から削ぎ落されたのです。非正規雇用とは、正社員ではないという意味で使われ出したのでしょうが、正規と非正規の本質的な差は、雇用の形態よりも実質賃金の差でしょう。

安価な中国製と価格競争するために低賃金労働者を創り出した。つまり団塊ジュニアから10年ほどは、就職氷河期に閉じ込められたのです。振り返りますと、「1.57ショック」をもたらした当時の女性たちは、先見性があったのです。産んだところで、社会の受け皿は限られていますから、低賃金でスマホ代を払ってコンビニで食べ物を買うのが精いっぱいの自分の子どもの姿を見ることになったからです。つまりこの頃から、日本社会が求めていたのは、労働力ではなく低賃金労働だったのです。いうなれば時給1000円以下ぽっきりで働いてくれる労働者です。時給1000円では、結婚はおろか異性との交際もままなりませんから、この時代から男性の生涯未婚者が増加しています。

人道を無視して、いっそ奴隷にしてしまえば、企業の収益は上がるかといいますと、そうではありません。奴隷には所得がなく、最低限の生活物資以外には消費できないからです。すなわち戦後日本の経済回復にみられたような「三種の神器」をめぐる経済の好循環は起きないのです。

 では、生産の側に対する消費側はどうだったでしょう。人口のボリュームゾーンの財布は、リストラと氷河で凍り付きました。一方で現在に至るまで日本の家計部門は健全で、負債よりも預金が多い状態を維持しています。しかし預金の金利がゼロになったのです。資本が金利を産まない、国家社会主義の極地に達しました。

 まずは例によって日銀です。景気悪化に対して、日銀は91年7月の公定歩合を6.0%から5.5%に引き下げて金融緩和に舵を切り、95年9月には公定歩合を0.5%まで、その後さらに2001年には0.1%まで引き下げした。これは当時の福井・日銀総裁が退任の談話として述べていたとおり、「家計が得るべき20兆ほどの利子が銀行の不良債権処理に使われた。」一面もあったのです。

低賃金とゼロ金利でGDP比で60%近くを占める個人消費が凍てつき、デフレ・スパイから抜け出せないまま30年が過ぎたのです。せっかくの人口ボーナスであった2枚の翼の1枚目はカットし、2枚目は氷河で固めましたから、飛べなくなるのは当然でしょう。

 ところで、飛べない鳥の代表格はダチョウです。いわば日本は90年代にダチョウに変身し、よく言われる「ダチョウ症候群」に罹ったようです。この症候群とは、ダチョウは危機や困難が迫ると、そこから逃れようと頭を砂に差し込んで、見えなくするということの例えです。

  まとめますと、少子化と不況は、鶏とタマゴで、どちらが原因か結果なのか、判然とはしません。つまり少子化や人口減少が不況の原因とは言えないのです。

 また、いま出生数が増加したとして、20年後の経済状況は誰にもわかりません。

世界的な競争力を持っていた製造業を失った今となっては、相対的に労働者が多ければ、失業者が増える。失業者を減らそうとすれば低賃金労働者が増える。今後の産業構造がどうなるかは分かりませんから、未来に向けた人口構成の設計は、神の領域でしょう。

 ついでにいいますと、過去30年間に、少子化ではなく戦後の平均的な値である150万人程度の出生数があったら、どうだったでしょう。生まれた子が社会人になるには、まず平均して20年間の扶養が必要です。私たちは健やかに育てることができたでしょうか?