少子化の正体

「80・2.0の壁」とは?

外国人労働者の受け入れは、「お得」なのか?

 

 

見逃されている費用

外国人労働者の呼び込みは、労働市場の開放や技能移転による国際貢献など、美しい言葉がならびますが、本音は低賃金労働者の穴埋めです。これは受け入れ側の先進国に共通で、日本に限ったことではありません。大学職員をはじめとする研究・教育者やIT技術者などの、高度技能者はいつの時代でも、すべての国で門戸は開いています。しかし自国民が就きたがらない、いわゆる3K職に就く、外国人労働者への門戸は、受け入れ側の都合によって、開いたり閉じたりしているのです。閉ざす理由は、仕事の奪い合いや、社会構造の変化による排斥感情です。 

 さて、人手不足というよりも賃金不足の業種が増え、いよいよ日本も移民の受け入れしかない、という声が日増しに強くなっています。「移民政策やむなし」という前に、そもそも労働者を送り出してくれる国が周辺にあるかどうかについては、前回のコラムで述べました。つぎは、低賃金労働者の受け入れは、ほんとに「お得」なのか、見逃さされている有形無形の費用はないのかという視点です。

 外国人労働者の受け入れの中核として、すでに財団法人・国際研修機構(JITCO)が存在しています。その周辺には商工会議所などの斡旋団体があります。つまりこうした機構や団体に、公的あるいは民間資金が投入されているということです。すなわち労働者本人への賃金以外に費用が発生しているのです。 

 また外国人労働者家庭に目を向けますと、文科省による調査年にもよりますが、概ね2万人から1万人の子どもたちが就学できていません。背景には、子ども自身の日本語力不足や親が子どもの就学に無頓着であることなどがあげられています。もちろんこうした家庭には貧困が根を張っていることが多いでしょうから、生活支援も必要になります。

 未就学は、すでに発生している社会問題ですから、官民による支援が必要でしょう。つまりここにも、外国人労働者の受け入れに対する機会費用が発生しているのです。若年の外国人労働者の受け入れを増やせば、こうした子ともたちの就学問題がますます増加するということです。

 隠れた費用もさることながら、未就学問題への対処は一筋縄では解決しないでしょう。それは、日本人の小中学生の不登校者が24万4940人もいて、調査前年度から4万8813人増加しているということからも、察しがつきます。(数値は文科省 2021年調査による)。さらに教育現場は教師不足で長時間労働が常態化していると報道されています。

 また健康保険財政上の問題も指摘されています。就労者が本国の祖父母を扶養していると認定されれば、彼らは日本に来て、健康保険を利用して白内症や人工関節置換といった定型的な手術を受けて帰国することができます。こうした医療費もまた、外国人労働者を受け入れるための機会費用と言えるでしょう。

 これら教育や医療それに貧困救済などの機会費用が平均していくらになるかは、分かりませんが、かれらの額面賃金15万円から20万円に加算しますと、実質的な賃金は倍増する額になるかも知れません。国際貢献と割り切れるならともかく、「低賃金労働者の受け入れ」という目論見は、大きく外れているのです。

 

 “郷に従えない”こともある。

そのほか金銭換算が不可能な問題も発生します。それは、住民による社会構造の変化への不安感でしょう。その一端ともとれる事例が、さっそく大分県で発生しています。イスラム教徒のモスクが土葬できる墓地を求めたのです。住民は、水質の汚染を理由に難色を示していると報道されています。しかし、住民の不安は、水質の汚染よりも、口外しにくい社会構造が変化するのでは、という懸念ではないでしょうか?

 日本でも、ほんの半世紀前までは、土葬はよく見られる埋葬方式でした。それが墓地の不足や、価格の高騰で、いまや小さな納骨堂を確保するのがやっとになったわけです。しかしながら、これは死生観に関することですので、「郷に従え」では解決しないでしょう。

 私の個人的な体験を少し述べましょう。私は、長崎県五島市の出身ですが、かの地域では70年代の後半くらいから、土葬から火葬に急激に変化しました。その流れを見ていた祖母は、急に不安になったのでしょう。ことあるごとに「焼かないでくれ」と繰り返すようになり、父は「わかった」と返事していました。祖母にしてみれば、迫っている自らの死は受け入れたのでしょうが、焼かれたのでは、冥途に旅立てないと不安だったのでしょう。自分が多くの親類や村人を送ったように、やはり御朱印が入ったお遍路さんの姿で埋葬してほしかったのです。

やがてその時が来て、「あれほど、懇願したものを焼けない。」と父が言い、昔ながらの棺桶を墓地まで4人で担ぎました。

 このエピソードは、宗教上の縛りというより、単に祖母の個人的な死生観によるものです。まして、宗教上の決まりで火葬は許されないとなれば、当人は信ずる神の元にたどり付けないと判断されますから、妥協点はないでしょう。大分県の場合は、アジア各地からの留学生を積極的に受け入れている大学がありますから、こうした抜き差しならない問題を抱えているのでしょう。それはやむを得ない流れかもしれません。

 しかし、わざわざ近隣諸国から、労働者を呼び込んで低賃金で働いてもらおうというならば、同様の問題は全国的に広がり、ソロバン勘定よりも「高くつく」のです。人は老いて病んで死ぬものであることは、外国人も全く同じです。若くして働ける歳月は限られていて、そのあとは長い老後そして死です。移民政策の是非を問う前に、こうした問題に対峙する覚悟が、私たちにあるかということです。

静かな侵略

ここで、外国人労働者を近年に積極的に受け入れた先進国の人口構成を見てみましょう。これは「移民の背景を持つ20才から29才の人口比」ですが、移民の背景を持つというのが、両親ともに外国人なのか、それとも少なくても片方なのかの定義が、各国で異なっているデータで、正確に統一されてはいません。

さて、その比率はオーストラリア50%、フランス・スウェーデン20~30%、ドイツ23%です(#1)。 

 この中で、直近の移民比率はオーストラリアが突出しています。もともと移民の国であること、広大な国土で人口密度は低いこと、そして公用語が世界的に習得率が高い英語であることなどが、移住する人たちに選ばれる理由でしょう。しかし、一方では「silent invasion(静かな侵略)」という本が出版され話題になりました。またカナダでは同じテーマで「パンダの爪」という本が書かれ、話題になっていました。20.23年5月現在、相互に外交官を追放するなど、実際的な政治問題が発生していますが、これらの著書は、中国による政界工作を問題視したもので、直接的に移民にたいする排斥感情をテーマにしたものではありません。

 しかし民衆には、政界工作など複雑な問題を吟味する情報も専門性もありません。ただ不愉快なニュースとして蓄積されるでしょう。そして深刻な不況に陥り仕事の奪い合いが始まれば、民衆に蓄積されたそれら不愉快な記憶は排斥感情に油を注ぎ、目の前の外国人に向かいがちです。

 すでに移民大国である米国は、建国以前から奴隷としてアフリカ系を連行してきましたから、300年たった今でも、白人警官による黒人への暴力が発砲が、珍しくはなく、「Black Lives Matter(黒人の命も大切だー)」を掲げた暴動やデモが発生しています。

 日本で、他の先進国に周回遅れで、移民政策をとるなら、まずこうした問題に対処できる能力や覚悟が社会にあるかどうかを考える必要があるでしょう。移民政策を一種の投資と考えるならば、リターンへの期待と同時に、リスクを社会として受容できるかということです。