少子化の正体

「80・2.0の壁」とは?

超過死亡率と過小死亡率の危うい均衡

 超過死亡率とは何か。  

 成人であれば、性別と年令で、これから1年間の生存率が統計的に計算されています。それをもとに、次年の死亡数や年令ごとの平均余命が予測されています。日常生活に関連した身近なところでは、生命保険料が計算されているわけです。日本では、大きなトレンドとしては、戦後一貫して寿命は伸びています。社会が豊かにそして衛生的になれば、各年齢での一年間生存率は、連続的に伸びて、「過小死亡率」としてまとめられるのです。しかし、詳細にみますと、近年だけでも、たとえば東日本大震災や新型コロナ流行の影響で、寿命が短縮したことがありました。こうした、予測値よりも増加した死亡率が「超過死亡率」といわれます。

 つまり平均寿命は、人類史といった長期の時間軸では伸び続けていますが、短期的には「揺り戻し」が絶えず発生しているのです。では超過死亡率を上げる要因は何でしょうか。

それはまず飢餓です。人口に対して食物が不足していている状態ですが、その背景には異常気象や害虫・作物や家畜の疫病があります。また日本に多い自然災害は、まず直接的に、そして時間をおいて田圃の荒廃による飢餓の発生で、二次的にも超過死亡率を上げるのです。これらは動物たちも同じ運命にあるのですが、人間にはさらに人間特有の、超過死亡率を上げる要因があります。それは自殺・殺人そして戦争です。

 それでは超過死亡率を上げる主要な要因について、具体的に見ていきましょう。

寿命に揺さぶりをかける気候大変動

化石燃料の時代よりも遥か以前から、地球が温暖化と寒冷化を繰り返していること良はよく知られています。それらは数万年単位の大波・数百年単位の中波・数十年単位の小波で形成されているといいます。実証的には、南極や氷河の氷床を円柱形にくり貫いて断面を見ると、年輪のような重なりがみられ、それで過去の平均気温を仔細に推測しています。

それらのデータや史実によりますと、紀元800年から1200年までのヨーロッパは、比較的温暖な時期で「中世温暖期」ともいわれます。現代では、温暖化が人類の危機として喧伝されていますが、中世温暖期はむしろ、神の恵みでした。

 それは、暑夏と暖冬のおかげで、小さな村落のごくわずかな土地や、以前よりも高地で、作物を育てることができたからです。現在のスイスなどの山岳部においても、氷河が後退して牧草地が広がりました。こうして食料は増産されたのです。

ただし、食料が充足し過小死亡時代に入り、人口が増加しましたから,、食料不足から解放されることはありませんでした。つま1人当たりの取り分は増えませんでした。もっと長いスパーンで人類史をみましても、紀元0年から産業革命期の1800年までで、1人当たりの生産高は年平均0.02%しか増加していませんから、まったくと言っていいほど、生活水準は上昇しなかったのです。この状態は、「マルサスの罠」ともいわれます。具体的には、人口は級数的(掛け算)に増加するが、食料は算術的(足し算)でしか増えないから、増産分は人口の増加ですぐに相殺され、民衆は貧困から抜け出せない、という説です。

 とくに農業に適していない極限の環境では、「マルサスの罠」が顕著に待ち構えています。たとえば作物が生育する期間が短いスカンディナビア半島の、やせたフィイヨルドはすぐに人口過剰になりました。そして彼らは海へと乗り出したのです。こうした古代スカンディナビア人はバイキングやノースマンとして知られ、主な生業は交易と、それを奪おうとする海賊行為だったことは、良く知られています。あまり知られていない、もうひとつの彼らの生業は「タラ漁」でした。乾燥させたタラは、キリスト教で、肉を食べてはいけないとされた特別な日でも、摂食が許されていただけではなく、陸上は慢性的な食料不足でしたから、貴重なものだったのです。

 タラの群れは、比較的に寒冷な水温を好むため、温暖化にともない北上しました。漁師たちもそれを追い北海へと漁場を求めて北上したのでした。北海の氷も緩み、スカンディナビア半島の北側まで航海する者たちも現れました。そしてその過程で「世界最大の島」を発見しました。発見とは、もちろんヨーロッパ人にとってのもので、そこにはすでにイヌイットが定住していたのです。

 この「氷の島」をグリーンランドと名付けたのは、ユーモアなのか、あるいは土地を売るためのペテンだったのかは分かりませんが、東部と西部の2か所に新たな入植者たちが移り住みました。これらの地域では、夏のほんの短い期間ではありましたが、緑の大地が現れ、牧畜が可能になったのでした。

寒冷期の到来で元の木阿弥

 この時期から、おおよそ100年かけて、気候の中波は寒冷化に向かいました。それは静かに移行したわけではなく、いうなれば100年に一度という規模の異常気象が繰り返し起きました。その一つが大雨です。山岳部の牧草地帯では氷河からの清流は土石流になり、草原を飲み込みました。またオランダは、低地が海面に沈み「ゾイデル海」になりました。オランダがこの水没地を干拓によって回復し終えたのは20世紀になってからです。

 教会の関係者がグリーンランドの東部植民地を訪れると、そこはすでに廃墟でした。家畜が数頭生き残っているほか、人影はありませんでした。爪の先まで食べられたと思われる雷鳥の骨は発掘されましたが、埋葬してくれる人がいなかったはずの、最後の生存者の遺骨も見つかっていません。彼らがどういう最後を迎えたのかはわかりませんが、寒冷化で大地は氷に覆われたまま牧草は育たず、食料が底をついたことは、確実だと見られています。

 ただでさえ短いヨーロッパの夏の日照時間が、さらに短くなれば、作物は育たず、飢餓が蔓延しました。飢餓がいっそう深刻化したのは、気象変動の影響が大きいのですが、間接的医にはその前の世紀までの温暖化の時期に人口が増加していたからです。11世紀末には140万人だったイングランドの人口は、1300年には500万人まで増えていました。また同じ時期のフランスの居住者は、620万人から1760万人に増加していたのです。ヨーロッパ全土が同じような人口動態でした。

 このあとヨーロッパの人口は、大きな流れとして減少に向かうのですが、その要因は少子化ではなく、寿命の短縮つまり超過死亡率の上昇だったということです。

 さらにこのあと、100年戦争やペストの流行によって、超過死亡率は上昇トレンドに貼りつき、地域によっては人口が1/3あるいは1/2にまで減少する地域があらわれました。

 つまり、人類の寿命の伸びは、自然天与のものではなく、過小死亡率と超過死亡率の均衡の上に乗っているのであり、大雨が3日も降れば崩れるほどに、危ういものなのです。