少子化の正体

「80・2.0の壁」とは?

ベビーブームの背景

 平均寿命と出生数は負の相関(反比例関係)にありますから、平均寿命が短縮すれば出生数が回復する要因になります。ただし、生活資源が回復することが前提条件になります。歴史的に各国で散見されたベビーブームの背景には、これら平均寿命の短縮と、生活資源の回復が、その背景にありました。こうした背景は、サバンナの動物たちをイメージすれば分かりやすいでしょう。たとえば干ばつが続けば、動物たちは飢餓に陥り、個体数は減少します。死亡率が上がるからです。平均寿命が短くなっているのです。個体数は直接的に数えることができますか、平均寿命は観察と計算が必要ですから、簡単には知ることがきません。しかし、超過死亡があれば、平均寿命が短縮していることは明らかです。この状態で、雨に恵まれ草原が回復すれば、出生数が急回復するでしょう。ただし復元可能な群れの大きさが保たれていればという、もう一つの必要条件があります。

戦後日本のベビーブーム

第二次大戦中の日本では、東京大空襲で一夜にして10万人、ヒロシマで14万人、ナガサキで7万人の犠牲者を始め、一般市民80万人が亡くなりました。戦闘員の死亡者は210万人に上ります。戦時中には人口動態踏査は中断されていましたが、平均寿命は間違いなく短縮していたでしょう。

 終戦とともに、開戦前の50%にまで低下していたGNPが復興景気で回復して行きます。平均寿命の短縮と生活資源の急回復が揃っていますから、やはり年間200万人を超えるベビーブームが3年続いて、合計750万人の子どもが生まれました。

米国のベビーブーム

米国本土は大戦による戦火をまぬがれましたが、31万4000人の戦死者を出しています。これは、戦闘員が20才代の若者中心ですから、平均寿命の相当な短縮をもたらしているはずです。さらに大戦終結後の5後には朝鮮戦争が勃発して、3万3000人が戦死しました。この後しばらくは、戦争は冷戦構造の中に封印されて弾丸の撃ち合いは起こらず、米国社会は非戦時体制に戻ることができました。1955年に出来たこの体制は、米国経済を活性化させ、株価も1929年の「暗黒の木曜日」の暴落以前のレベルにやっと回復しました。これはマクロ経済回復の一端を示しています。つまり、平均寿命が短縮している状態での、生活資源の回復ですから、やはり米国史上最大のベビーブームが起きたのです。

中国のベビーブーム

 1960年代の中ごろから後半にかけて、中国でも史上最大の出産ラッシュが起きています。超過死亡率を上げたのは、戦争ではなく、「大躍進政策」の失敗でした。朝鮮戦争が終わると、中国政府は経済発展に力を入れて、農業から工業への産業転換を図ろうとしました。まずは製鉄です。小規模な製鉄所が多数建造され、伝統的な製法で鉄が増産されましたが、その品質は当時の世界基準からしますと粗雑で、使い物にならなかったと言われています。しかし地方部では、中央政府から課せられたノルマを達成しようと、需要を無視した製鉄が続けられました。農村部の男性は、製鉄業に駆り出され、農業の担い手は女性だけになって、農業の生産高は落ちていきました。

この農業生産高の低下は、女性たちが農作業に不慣れであったからだとか、あまり働らかなくても人民食堂で食べることができたからとか、あるいは鉄の生産を嵩上げしようと、農機具を取り上げて溶かしたからだとか、また食料危機の初期に穀物の種を食べたからだとか、諸説あります。

しかしすべての説の結論は同じで、工業生産高の異常は増加と、農業生産高の急減によって経済は混乱に陥りました。食料不足による飢餓と関連死者数は、中国政府にとって蓋をしておきたい惨事ですから正式な数字は公表されていませんが、1500万人とも4000万人とも言われています。超過死亡による、明らかな平均寿命の短縮が起きています。

3年間に及ぶ飢餓が収束に向かい、やがて経済状況がもとに戻り、生活資源が回復すると、やはり出産ラッシュになったのです。

ベビーブームが起きなかったアイルランド

1841年に817万人だったアイルランドの人口は、10年後に900万人に達するだろうと見込まれていました。ところが実際には655万人に激減しました。いわゆる「ジャガイモ飢饉」の結果です。

南米からヨーロッパに持ち込まれたジャガイモは、ヨーロッパ人の食料として定着していきました。とくに気候の変動が大きいアイルランでも、よく育つ作物で、最盛期には家畜の飼料それでも余れば、追肥になるほどでした。一般の家庭では食料の一部でしたが、小作農の家庭では、ジャガイモがすべてでした。ジャガイモのおかげで、アイルランドから飢餓はなくなったかにも見えました。

しかしジャガイモ疫病菌が、アメリカ大陸から広がり、アイルランドのジャガイモを土の中で黒く腐食したのです。ヨーロッパ全体に広がった疫病ではありましたが、アイルランドでの被害が大きかったのは、貧困層にはジャガイモがすべてで、穀物を買うおカネがなかったからでした。イギリス政府は、貧困は自業自得なので、貧乏人は自助努力することが大切だという考えで、救済には本腰を入れませんでした。

ジャガイモ疫病は数年で治まりましたが、数年もの空腹には耐えられませんから、やはり飢餓とそれに続発する疾病で、150万人が死亡し、100万人が北米大陸を中心に移民しました。飢饉が落ち着くとベビーブームが発生したかというと、逆に移民は続き、残った若者は非婚・晩婚が多くなり、1900年まで人口減少は続きました。飢饉前の人口を回復したのは、1960年代になってからのことです。

中国の大飢饉と同じような状況であるのに、アイルランドでは、なぜ人口が回復しなかったのでしょうか。それは、まず隣接するイングランドでは産業革命が起きていましたから、ジャガイモだけでは生きてゆけない時代に入っていからでしょう。生活資源の回復のためには、人並の収入が必要だったのです。それに移民による若者の流出も、人口回復への直接的な打撃になったのでしょう。また若者の流出による間瀬的な打撃は、労働力を失い経済発展が遅れて、生活資源が回復できないことです。

 当時のアイルランドの収入源は、移民者からの仕送りでしたから、日本の経済高度成長期の日本の地方部と同じ構造でしょう。やはりベビーブームはなく、少子高齢化が居座り人口は静かに減少したのでした。