少子化の正体

「80・2.0の壁」とは?

扶養力の低下2

恋愛弱者の青年たち

 もう一度、先の図表を確認してみましょう。やはり目に付くのは、単独世帯の増加と、それによって圧縮されているかのような「その他の世帯」の減少です。この「その他の世帯」には、成人した子どもと親や、老いた親を在宅介護している世帯が含まれるでしょう。つまり高齢化した家庭です。

総務省統計局HPより引用

さて図表の元資料から単独世帯の割合を年齢別・男女別に見ますと、男性では25から34歳で最も高く28.8%。次に、55から64歳(18.7%)、45から54歳(17.9%)が続いています。

一方、女性では75から84歳が最も高く26.0%。次に85歳以上が25.6%、25から34歳が19.7%と続いています。

 総括しますと、男性では未婚による単独世帯が、女性では夫との死別による独居が、最も多いと言えるでしょう。つまり家庭は養育力だけではなく、高齢者の見守りといった在宅介護力も脆弱になっていますし、男性の生涯未婚率が上昇していますから、今後しばらくは高齢単独世帯は増加するでしょう。

 ところで、歴史人口学によりますと、世帯人員の減少は、すでに江戸時代初期(1700年頃)から始まっていたと言います。それまでは、叔父叔母や兄弟夫婦など親戚夫婦を含め30人ほどが同居する「合同家族世帯」が珍しくなかったようです。戦国時代は兵農一致で、家族は戦う単位でもあり、また無政府状ですから、野武士や盗賊の襲撃から家族を守るには、世帯人員は多い方が有利だったからでしょう。う

 特筆すべきは、泰平の世が開かれてから100年も経って、大家族から小規模家族の分散が起きたということです。すなわち世帯構造が変化するまでには、数世代くらいの年月が必要だったということです。世帯構造は藩主の号令で、一気に代わるものではなく、「上手くいってる家庭」の形態が、ゆるやかに伝播していくという変化だったということです。

 年貢も累進課税ではありませんでしたから、働いて豊作になれば、家族は豊かになったのです。つまり労働は貧困ゆえの罰ではなく、豊かに幸福になるための営みで、尊いものであったわけです。農業生産は、気候に左右されますが、同じ条件なら手を加えた者が豊作に恵まれます。つまり「働いた者は特をする」のです。こうして、江戸時代初期には人口は増加していきました。しかし、子どもが増えれば、やがて青年期に達した者たちが余剰人員になりますから、江戸や上方を始め地元城下に奉公に出たわけです。当時は住み込みだったでしょうから、単身世帯とは言えないでしょう。

周知のとおり江戸期は農業が最大就労人口比を占めていましたが、経済が拡張する時期には、核家族の方が、有利な就労機会を求めての移転が容易ですから、都合が良いのです。この傾向は、明治から高度経済成長期の100年間においても、産業構造が工業にシフトしましたが、機動性に富む核家族が増加し続けました。

さて現代の「少子化」というテーマに戻りますと、出産数を増加させ得るのは、すでに子どもがいる世帯でしょう。しかしすでに述べましたように、養育費を賄えたとしても、子育てのマンパワーが限界に達しています。しかし、このカテゴリーの人々も、親と同居はハードルが高いけど、スープが冷えない距離にいて、子育てを手伝ってもらったほうが、家庭が円滑に回ることを、先輩たちの成功事例を見てすでに知っていますから、そうした家族形態が静かに伝播するでしょう。

 やはり期待すべきは、男女ともに「25から34歳」層の独身者です。少子化が持続すれば将来的な母世代が減少し、ますます少子化がスパイラル的に進行すると、数十年前から言われていますし、確かにそのトレンドに入ってはいます。しかしまだまだ潜在的な再生産性は十分に残されています。

 いまや妊娠と結婚は、どちらが先でも社会は許容どころか、個人の問題として良い意味で無関心になりました。若者が恋愛するのは自然なことです。必要なのは出会いと交際ですが、政府が、それを妨害しています。「人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえ。」という慣用句があります。出典不明ながら慣用句として残っているのは、無粋なことはやめろという日本人の古来からの心情に合致しているからでしょう。蹴られるべきは、思考停止した政府でしょう。

 最近の例で言いますと、「外科マスク」です。もともとはその名のとおり、病院で特別な医療行為を行う場合に必須とされていたものが、新型コロナ禍で強制され、習慣として根強く残っています。市販マスクは、咳をした時に飛沫を飛ばさないという効果はありますが、ウイルスの侵入を防ぐ効果はありません。自らの飛沫防止も、咳をするときの「咳エチケット」で十分でしょう。

 現在においても花粉症や黄砂防止のために使用している人も多いでしょうが、それ以上に、顔を見せたくないという「匿名希望」もいるようです。学校や職場で、ともに過ごす機会は御縁であり、将来的に縁談に結び付くことも稀ではありません。

 青年期には、異性の顔立ちがまず気になるでしょうが、それは一目でわかります。好意に結び付きやすいのは、それよりも何かあった時の表情でしょう。見えない性格や本音を、表情から読み取ろうとします。こうした能力は、処世術というよりも、円滑な社会生活を営む上では、試験が終われば忘れる知識よりも重要な能力です。長引くマスクの着用によって、この人間固有の能力を習得する機会を喪失しています。

 もうひとつは物価高による実質賃金の低下です。もともとエンゲル係数が高い上に、購買力が下がれば生活はひっ迫します。これはコロナ禍だけではなく、ウクライナ戦争や通貨安など他の要因もあるでしょうが、不幸にもマスクと同じ時系列に乗ってしまいました。2023年の婚姻数は戦後初の50万組割れで、出生数は75万人を切っています。これは社人研の予測を上回る急減しでした。

施策と結果が合致していますから、とくに不思議なことではありません。いうなれば単独世帯の恋愛弱者の若者たちは、出会いも交際費もなく、コンビニで弁当を買ってワンルームに帰って、スマートフォンをさわりながら1人で食べるという暮しなわけです。夢は「正社員になること」で、恋愛や結婚はすでに意識にもなくなっています。

 すなわち「異次元の少子化対策」は、彼らから、すでに産んだ人たちへの、所得移転ですから、今後も結婚数が減少するのは当然なのです。江戸の昔を見習って、働けば家庭が持てる。少しでも働いたものが報われる、そうした公租公課にしなければ、単独世帯の若者を子どもいる世帯に移動されることはできないでしょう。