少子化の正体

「80・2.0の壁」とは?

環境の収容力

 ねずみ算は、ありえない

 すべての生物は、老いて病んで死にます。これは誰もが知る生物学的な真理です。実は人口の増減にも、同じように、生物学的な力が働いています。その「生物学的な力」は、概ね解明されているわけですけど、改めて整理してみましょう。

 たとえば大腸菌を例にとりましょう。大腸菌個体の重さは、1兆分の1gです。言い方を替えますと、1兆個の大腸菌を集めると1gになります。この大腸菌の個体が2つに分裂するのに要する時間を20分として、かつすべての菌は死滅しないものとして、1個体の細菌が地球の重さと等しくなるには、どれくらいの時間が必要でしょうか。答えは2日です。しかしそうしたことは、起きたことがありませんし、これからもあり得ません。

 つぎに人家にも棲むクマネズミを例に挙げましょう。クマネズミの寿命は3年で出産可能な期間は2年といわれています。1年間に5回ないし6回のお産で、1回あたり5から6匹の仔を産みます。単純に計算しますと、1組のつがいは、1年後には9400匹に、3年後には3億5000万匹になります。しかし、こちらも現実とは大きくかけ離れています。

 つまり生物の個体数は、その種が持つ自然増加率で、等比級数の和として増えるわけではないということです。数理モデルとしては、もう少し複雑な関数になりますが、結果として 生物の個体数の増加には一定の波動があり、特定の曲線に回帰するということが、知られています(図)。

N:個体数  T:時間

これはロジスティック曲線と言います。縦軸に個体数、人間の場合は人口を、横軸に時間をとりますと、最初のうちは緩やかな増加傾向を示し、それから急激な伸びを示したあと、また停滞することを示しています。

環境の収容力は、生物の繁殖力よりも常に小さい 

ではどのような要因が遅滞・成長・停滞という3つのフェーズを形成させるのでしょうか。それは「環境の収容力」です。大腸菌の場合は、地球の重さを越えるほどの水と栄養とスペースがありません。クマネズミの場合も同じく、水とエサと隠れ場の制約が働いているのです。つまり環境の収容力は、生物の繁殖力よりも常に小さいのです。

 人間の場合も、環境の収容力という制約の中で、生活し増加してきたわけです。超・長期的なスケールで見ますと、定住農耕の時代は長く、人口は僅かな増減を繰り返しながら横ばいに見えるのですが、部分的に拡大しますと、やはりいくつものロジスティック曲線を描いています。

 世界の人口が成長フェースに入ったのは、産業革命からで、日本ですと明治期以降です。殖産興業により経済が拡大し、収入を得て所帯を持てるようになったからです。つまり環境の収容力が上がったわけです。

 近年では、戦後2回のベビーブームがありましたが、その背景には戦後復興景気と経済高度成長がありましたから、やはり環境の収容力が大きくなったことが、影響しているでしょう。

 さてここで、人間の場合の「環境の収容力」とは、具体的にはどのようなことを指すのでしょうか。それは考え得るすべてです。まずはほかの生物同様に、食料と住家が必要です。それに裸のサルですから、衣服も必須です。さらには高次脳が発達し自意識を持っていますから、居心地の良い社会や家族も必要ですし、余暇の楽しみも求めます。その上にはさらに、生きているだけでは飽き足らず、「生きがい」がない、と訴えたりします。

 これでは人間の生存にとっての「環境の収容力」とは何か、捕えようがありません。経済成長期と人口増加期が同じ時系列に乗っていますから、ここでは環境の収容力を経済に集約します。先にあげた「居心地」「楽しみ」「生きがい」など、考え得る要因を経済力で表現できるわけではありませんが、現代社会において、先立つものはカネであることは、残念ながら否定しようがありません。

そうすると、近似値として、つぎのような仮説を立てることができます。

環境の収容力=GDP×配分率 

GDPは国内総生産です。そもそもGDPがその国の真の経済力を反映しているのか、とう議論があることは存じていますが、資料が得やすく一般に浸透している指標ですから、その国の経済力を示しているものとします。配分率は、こうして生み出された富のうち、どの程度が賃金として分配されたか、また社会保障費として再配分されたかを表しています。

 日本での産業革命、言い方を替えますと、農業経済から重工業化の変換は、明治期から始まり1974年のオイルショックで終焉したのです。経済が頭打ちの停滞フェーズに入ると同時に、環境の収容力が限界に達して、人口も停滞期に入ったということでしょう。

 先進国全般に言えることですが、工業化が終わり、ITや金融ビジネスが盛んになってきました。すなわち「一人勝ち産業」が主力となり、労働者が余剰になってきたのです。かつてのような多くの労働者を雇う企業は、経営に行き詰まりました。労働集約的な作業は、賃金が安い国に委託する。こうしたビジネスモデルがもてはやされ、そうした企業は株価も急騰し、時代の寵児となったのでした。

つまりGDPが伸びたとして、人々に配分されない。社会現象としては「中産階級の没落」です。日本でも「人手不足」がさけばれていますが、それはかつての大卒・中産階級ではなく、片言の日本語が判れば良い、低賃金労働者が不足しているという意味です。

 こうして環境の収容力が飽和状態になっていますから、人口も停滞している。つまりは、生物学的に必然の現象だといえるでしょう。