少子化の正体

「80・2.0の壁」とは?

「国土の均衡ある発展」は、打ち上げ花火だった。

都市の向かうのは人間の習性?

 1960年代にはすでに顕著になった都市の過密化と地方部の過疎化の対策として、「均衡ある発展」というスローガンが掲げられました。70年代には「日本列島改造論」が話題として沸騰しました。日本各地を高速道路と新幹線で結べば、「均衡ある発展」が可能であるということです。

 道路や新幹線網の敷設には、時間がかかりますが、すぐにできるのは公共事業ですから、土木建設をパイプラインとした予算が、地方部に配布されました。最も重要なのは、予算をその年度に消化することですから、地元の民意が対立しない事業が優先されます。その結果、全国の河川は両岸をコンクリートで固めた「排水溝」に、代わりました。たしかに県庁所在地の商店街や飲み屋街はいくらか繁栄しましたが、持続性はありませんでした。公共工事の予算が投入されたときは、賑わいますが、打ち上げ花火と同じで、持続性がないのです。

 80年代には、リゾート開発という名目で、いくつも保養施設やリゾートマンションが建てられましたが、バブルの崩壊とともに、草に埋もれた「つわ者どもが夢のあと」に変貌しました。都市部のお客がおカネを落とし、地元の人がそこで働き「東京マネー」を得るという循環は、一瞬にして潰えました。

 さらに90年代になりますと、日米構造協議による圧力で、年間20兆円もの公共事業費が10年間投入されました。その結果、一県一空港が建設され、さらに津々浦々の港湾が整備されました。しかし、空港の定期便はまばらで、漁業の就業者は減少の一途ですから、港湾は釣り堀になりました。

g やはり「仕事がない」あるいは「大学・専門学校がない。」という理由で、高校を卒業すると、都市部への人口流出は、止まりませんでした。こうした都市部への若者の移動は、古今東西で変わりはありませんから、人類の習性でしょう。

それでは、現在の人口増減のマダラ模様を見てみましょう。

図:総務省 統計局のHPから転載


これは直近2回の国勢調査を基にした、都道府県単位での人口増減を示しています。人口が増加あるいは減少がゆるやかな地域は色濃く表現されています。やはり人口は首都圏と関西圏をはじめ、都市部に流入あるいは留まっています。つまり人口過密地帯に、ますます人々は集中し、過疎化地帯では、さらに人口が減少し、これまでのトレンドが残酷なまでに強調されているということです。

 このトレンドを踏まえますと、都市部への人口集中の流れは止まらないということです。一時的にせよこの傾向が変わるとすれば、戦争や大地震など、不幸はできごとが起きた場合だけでしょう。

 また広がり方をみますと、いわゆる寝に帰るだけの、小規模で辺鄙なベッドタウンニュータウンではなく、政令指定都市から鉄道網に沿って隣県に広がているということでしょう。なぜなら日本のGDPの60%は個人消費ですから、少なくとも人口20万人から30万人程度の中核都市でなければ、居住地での消費経済は廻らず、街はシャッター街になり、人口は櫛の歯が欠けるように減っていくということでしょう。

 人口動態は環境許容度によって決まるとしますと、かつては町村にも、溢れるほどの人々が暮らせていたし、特に田畑をはじめ環境許容度が減少しているわけではないのに、なぜ。

そういう疑問が出てくるでしょう。それは一人あたりの年間消費額が、現在価値でたとえば10万円未満で、平均寿命も60才代で、現在のグローバルサウスの中でも、最貧国なみの生活だったからです。その暮らしにはもうだれも戻りたくはないですし、現在も過疎の町村に住み続けている人々は、年金や公的資金の給付を受けているひと、あるいは地域の公務員や地場事業所の被雇用者など、外部の資金循環に結び付いている人がほとんどでしょう。

 したがいまして、人口がすでに数万程度の地域で、いくら少子化対策に予算を投じても、これまでの公共事業と同じだといえるでしょう。つまり持続性が乏しいのです。こうした過疎の最終局面にある自治体では、人口の重心は80才くらいにありますから、人口の増加を図るよりも、現在の住民をいかに介護し看取るかに力点を置いた方が、賢明であると言えるでしょう。

 逆に、日本全体での人口減少を止めるのであれば、首都圏や関西圏に次ぐ、まとまった規模の生活圏を形成するうことではないでしょうか。先の人口増減分布地図からみますと、その候補は限られています。それは北から北海道・宮城・愛知そして福岡ではないでしょうか。これらの地域の中心都市は周知のとおりですから、それらの政令指定都市を中心とした生活圏の拡大が、人口増加に結び付くと考えられるのです。