少子化の正体

「80・2.0の壁」とは?

超過死亡率を上げる要因

自殺・殺人・戦争

  日本では、気候変動による飢餓を解消し、不可抗力の自然災害による被害を最小化する取り組みも続けられています。具体的な数値をみてみましょう。日本の国土面積は世界の0.29%で人口は2%以下です。しかし、地球上の活火山の7.1%が日本に集中し、また列島全体が地殻プレートのギャップ上にあり、マグニチュード6以上の地震の8.5%が日本で発生しています。また日本には毎年台風が上陸しますから、世界の災害による被害金額の17.5%が日本で発生しているのですが、災害による死亡者比率は1.5%で、人口比と変わりがありません。これは国土強靭化というよりも、国民の集団的避難行動が優れていることを示唆しています。

 しかし、人為的に死亡率を上げる自殺・殺人は止まっていません。これらの、いうなれば人為的死亡は人類固有のものですから、高次脳機能の暴走と関連が深いでしょう。

 さて世界には自殺率が高い国と比較的に低い国があります。例えば日本やフィンランドは自殺率が高い国です。しかし殺人は少ないのです。逆に米国や南米諸国など、、自殺率が低い国では殺人が多い。

 人口10万人あたりの殺人事件は、米国5.3 フランス1.3 英国1.2 ドイツ1.0 日本0.3です。日本での殺人件数は年間300人を切っています(2016年)。一方、米国では一日平均316人が銃で撃たれ、106人が死亡しています(2022年)。

 このように日本は、殺人件数が極めて低い治安が優れた国なのですが、一方の自殺者数は、年間2万人を越えていますから、殺人数の70倍にのぼるという計算になります。

 それはどういうことなのか。つまりは殺人と自殺は、たとえば殺人の凶器と自殺の手段をともに銃だと仮定しますと、銃口を他人に向けるか、自分に向けるかだけの差で、人為的に超過死亡率を上げる要因である点では、変わりがないということです。

殺人を拡大したものが戦争で、銃は武器と言われます。しかし、いずれの場合においても、十分に生存可能だった人が、銃弾によって重要臓器が破損されて死亡したという、法医学的な見立てに差はありません。

 こうして超過死亡率には、上昇するベクトルが常に働いています。ただ難を逃れて生存している大多数の人たちの寿命が伸びれば、統計的に打ち消されて、表面化しないだけです。

ところで、不可解なのは、自殺率が増減を繰り返していることです。自殺率のコアを形成しているのは、その社会が持つ抑うつ系の精神疾患罹患率かも知れません。日本におけるこのコアの値は、おおよそ年間1万人としますと、人口比で1%以下ですから、精神疾患の推計罹患率と、それほど乖離していないでしょう。問題は、自殺率を増加させる要因は何かということです。

社会学創始者といわれるデュルケムは、個人の自由意思で行わるように見える自殺は、多くが社会的なものであったことを統計的に明らかにしました(「自殺論」)。そして次の4つの型に分類しています。

自殺の四つの型

  1. 社会との結びつきが弱くなったために起きる自殺「自己本位的自殺」(離婚者 破産者 失業者 高齢者)
  2. 社会との結びつきが強くなったために起きる「集団本位的自殺」(戦争時の自爆攻撃が典型的な事例)
  3. 社会的規制(抑圧)が弱くなったため起きる「アノミー的自殺(錯乱状態の自殺)」(社会的制度の崩壊や経済混乱)
  4. 社会的規制(抑圧)が強くなったために起こる「宿命的自殺」(武士の切腹が典型例)

 さて日本における自殺の原因・動機としてあげられているのが、多い順に1.健康問題 2.経済・生活問題 3.家庭・職場(学校問題)ですから、デュルケムの4型でいえば、「自己本位的自殺」と「アノミー的自殺」でしょう。加齢とともに各種疾病罹患率は上がり、また孤独感も強くなりますから、自己本位的な自殺に結び付きやすいでしょう。この傾向は、地球規模で見た場合に、自殺率は北半球で高く、しかも緯度が上がるにしたがって、増加する傾向がありますが、その理由を説明することができるでしょう。すなわち北半球の高緯度地域では平均寿命が伸びて、他の地域よりも高齢化が進行しているからとも言えるからです。

 また日本で自殺率が、高い地域は、東北・山陰・四国南部・九州南部ですが、これらの地域もまた国内でも特に、高齢化が進行している地域です。さらにこれらの地域の県民経済は、全国の1%にも満たない5兆円以下で、かつ経済成長率も低いという状況にあります。つま若年者は仕事を求めて流出し、高齢化がますす進行するのに加えて、残された人々も、経済・生活問題に直面しやすいといった状況が、容易に推測できるのです。

 地域による自殺率の高低の説明に、気候や県民性などを持ち出すと、話としては興味深いのですが、説明がつきません。やはり高齢化の進行といった人口動態や、地域経済の停滞といった部分に焦点をあてますと、一部分だけだとしても鮮明に映し出すことができるのです。

経済が停滞した旧社会主義国の自殺率も高かった。

  かつて1998年から14年連続で、日本での年間自殺者数が3万人を越えていました。その頃に、日本以上に自殺率が高かったのは、ロシアや東欧などの旧社会主義国でした。政治・経済・文化など、どれをとっても日本とこれら旧社会主義国の共通点はみあたりません。しかし、陥った経済状況は、よく似ています。

まずは、90年代以降、日本も旧社会主義国も国内経済が停滞したということです。つまりは、日本も旧社会主義国も、冷戦構造の崩壊にうまく対応できなったのです。少なくても、ソ連崩壊から10年程度は、ロシア経済は下り坂を転がりました。日本と同じように、「失われた10年」がロシアにもあったわけです。こうしたマクロ経済の停滞と同じ時系列で、自殺率が上昇しています。ソ連崩壊後のロシアでは、社会的制度や秩序も崩壊しましたから、文字通りアノミー的自殺も増加したでしょう。

こうしたロシア国内経済に見切りを付けた人の中で、冷戦時代の東側を支えた優秀な研究者などを皮切りに、人口の流出が起きました。日本の場合には、経済が停滞した県から繁栄している都道府県へ人が移動していますが、同じ現象です。ただ、当時のロシアに繁栄しているところはありませんでしたから、多くの人びとが旧西側へ流出したのです。

 しかしながら、国内での生活もままならず、かといって外国に出て行くこともできない人びとが大多数だったのです。こうした社会情勢のなかで、アルコール依存症が増え、自殺率を押し上げています。「経済停滞」の中で「精神疾患」が増加して、それが「自殺」につながっていったということです。こうして、ロシアでは男性の平均寿命は短くなり、ついに60才を切ってしまいました。「ロシアに年金制度はいらない。」と揶揄されたほどの、短い平均寿命です。

デュルケムは、前述の「自殺論」のなかで次のように述べています。

歴史の教えるところでは、発展と集中の途上にある若々しい国では自殺は少ないが、他方、社会が崩壊するときにはそれにつれて自殺が増えていく。ギリシャやローマでは、都市国家の古い機能が揺らぎはじめてから、自殺があらわてきたが、その自殺の増加は社会の凋落の足どりを刻んでいた。それと同じ事実はオスマン帝国にもみられる。 

 以上の引用をもとに考察しますと、隆盛を極めて「80・2.0の壁」に付き当たり、経済的にも社会的にも衰退期にある先進国では、これ以上の生活資源の増加は見込めませんから、平均寿命を落として「70・2.5」に戻ろうとする圧力がかかっている。日本においては、その兆候の1つが自殺率の上昇であると、考えられるのです。

 これでも生活資源と寿命のつり合いが取れなけらば、次に待っているのは戦争です。