少子化の正体

「80・2.0の壁」とは?

急がば廻れの少子化対策

 「急がば廻れ」とは、周知のように「急ぐときは、近道や危険な方法を選ばずに、むしろ回り道でも、確実で安全な道を通ったほうが、結局は早く着ける。」という意味です。だれでも、知っている諺ですが、つい近道を探してしまいがちです。少子化対策も近道論が多くみられます。たとえば外国の事例をひいて、婚外子を増やせ・子ども手当を出せ、いっそのこと移民を増やせといった論調です。これらの政策に、仮に間違いはないとしても、危険な近道です。なぜなら、それで出生率がいくから上がったとしても、既存の人々にとって、かえって生活しにくい社会に向かえば、そのことがブーメランとなって、かえって婚姻や出生数を抑えるからです。科学技術とは異なり、違う文化圏の少子化対策を持ち込んでみても、根付くとは限らないのです。私たち自身が道を探さなくていけません。もっとも道はありませんから、ルートを探すということです。ルートを探す上で、最初にすべきは、私たちは今どこにいるのかを知ることです。そのためには、ぼやけた広域地図から、少しずつフォーカスを絞った方が無難でしょう。

 これを少子化対策にあてはめますと、日本文明・時代の趨勢(パラダイム)そして最後に政策へとフォーカスを絞れば、何かの気づきがあるかも知れません。まず、文明視点から、「私たちはだれか、どこから来たのか。」 そのことを再認識すれば、 混迷をぬけて、意識を取り戻ける可能性があります。

  単独で固有の文明を持つ

 さて現在のところ、「80・2.0の壁」を越えた国はありません。この壁を越えられる可能性が最も高いのは、私たちの日本でしょう。なぜかといいますと、サミュエル・ハンチンソンが指摘いているように、「単独の文明」を持っているからです。彼の世界的に有名な説によりますと、世界は西洋文明・イスラム文明・中華(儒教)文明・ヒンズー文明などを初め、8つの文明で形成され、その中には中国・インド・ロシアなど、それぞれの文明の中核国が存在するものもあれば、西洋文明やイスラム文明など、中核国が判然としないものもあります。

 こうした中にあって、日本は単独で「日本文明」を築いていると、言います。一部の学者は、日本は中華文明の派生だと主張しているようですが、ハンチンソンのみならず、多くの学者が日本は単独文明だという点では、一致していると言います。ハンチンソンによりますと、確かに日本文明は中華文明から派生したが、西暦200年から400年にかけて現れました。その時代から今日までの、短くても1600年もかけて、数多くの内戦を繰り返しながらも、今日の社会を形成したことになります。すでに単独文明ですから、中核国の地位をめぐる争いはありません。かつ、島国ですから、大陸の揉め事に、幼稚な善悪二元論を根拠に不用意に首を突っ込まない限り、「文明の衝突」もないのです。つまり自ら壊さない限り、もっとも平和を享受しやすい立場にあるわけです。

 さらにすでに単独文明ですから、民族や宗教間の争いもありません。同じ民族で同じ言語そして先祖崇拝と多神教という、似かよった宗教観を共有しているわけです。私たちには、空気のように自然に存在するかのような錯覚を与える、ほぼ同一民族・同じ言語・同じ宗教観の社会は、歴史的に多くの血と汗を流して先祖たちによって築きあげられた日本文明の中核なのです。こうした国は世界で日本だけです。

現在においても、民族・言語・宗教の同一性を求めて、多くの地域で紛争が起きています。たとえば旧ユーゴスラビアです。バルカン半島に位置するこの地域は、すでに千年以上も前から、民族と宗教がモザイク状に入り組んで、100年前には「ヨーロッパの火薬庫」と言われていて、実際に第一次世界大戦の引きガネになった「サラエボ事件」が起きた地域です。東西冷戦の頚木が外さされると、民族・宗教の同一性を求める紛争が散発して、近隣の大国が武器や資金を援助して、火に油を注ぐ状態が繰り返されています。ではなぜ、同一民族・同一宗教での国家を求めるのでしょうか。それは、その方が生活しやすいからでしょう。「話せばわかる」と互いが信じている隣人との口論はあっても、暴力沙汰には、めったに及びません。

日本はすでにこの状態を達成している稀有な国なのですから、「80・2.0の壁」を越える方法を、落ち着いて考えられる環境にあるわけです。

米国覇権から多極化への流れ

次に、時代の趨勢(パラダイム)を俯瞰してみましょう。東西冷戦が終結しますと、文明間での衝突や文明内での中核国になるための争いが増えて来るだろうというのが、ハンチンソンの説でした。一方には、東西冷戦後の世界は、国境すら無くなり、ひとつの世界になる。その中心はワシントンD.C.だという、いわゆるグローバリズムも隆盛を誇りました。日本は、後者に追従しました。明治期以来、強い国に従うという政策で、日英同盟三国同盟・日米同盟を軸に外交政策を実施してきましたから、米国追従は、是非はともかく自然な流れではあります。これらの同盟のうち、ドイツとの同盟は失敗でしたが、当時のドイツは破竹の勢いでヨーロッパを占領していましたから、「いける」と踏んだのでしょう。したがって現在の米国追従も、どちらに転ぶかわかりません。戦争に巻き込まれるという事態になれば、出生数どころか平均寿命も、当然ながら短縮するわけですが、そうではなくても、失敗に終われば、今後の人口動態で出生数と平均寿命にその結果が表れるでしょう。

 少子化の進行はこれまでのトレンドでもあり、因果関係は不明瞭でしょうが、平均寿命は東日本大震災や新型コロナによる影響を除けば、基本的に伸びる傾向にありましたから、議論の対象になるでしょう。もっともマスコミ上では、独居による高齢者の孤独や、生活苦のために通院を中断した人が増えたからだ、といった論調が主流にはなるでしょう。しかし、そうした事態は、外交政策の失敗による経済力の低下が背景になっているのです。

「80・2.0の壁」を越えるには、経済力を上げて配分すれば良いのですが、それとは真逆に国民負担を増やして、外国にばらまいているというのが世論でしょう。

 米国追従は危ういのではないか、という雲行きになってきました。というのは、もともとグローバル・スタンダードとは、アメリカ・スタンダードの押し付けだという反発もありましたが、今般のウクライナ戦争やパレスチナ紛争で、米国覇権の揺らぎが、私たちにも認識できるようになったからです。具体的には、米国主導でロシアへの経済制裁に加わったのは、ほとんどがG7と西欧文明圏です。世界人口に占める比率では20%未満で、残りの80%以上の人口を占める国々は、米国の依頼を聞いていません。こうした人口比になるのは、人口大国が含まれるBRICSとアフリカ諸国をはじめとするグローバルサウスが、参加しなかったからです。またGDPでは、1980年には、G7で世界の半分を占めていましたが、現在では30%にまで低下しています。

  またガザ紛争にしても、「天井のない監獄」に閉じ込められた多くの子どもを含む市民が、餓死寸前の状態に追いやられたうえに空爆を受けていて、世界はイスラエルに対して人道面からの停戦を求めています。しかし米国務長官が、何度現地を幾度となく訪問しても、右往左往しているかのように見えるだけで、砲火を止めて事態を鎮静化させる能力は、政治力の面でも軍事的にも、もはやないように見えます。

 つまり冷戦後の米国覇権も賞味期限が切れかかり、世界は多極化へ移行しつつあるのです。ハンチンソンがいう「文明の衝突」の前段階で、文明圏による多極化に向かっているといえるでしょう。

そうしますと、地理的にも文明的にも、日本と韓国の追従が不自然で、むしろ自国経済へのダメージが懸念されます。加えて、ガザ紛争では、日本政府は、イスラエル支持を表明していますが、石油の97%を中東のイスラム圏に依存しています。

 なぜこうした選択になるのでしょう。それは国全体が認知症を患っているからかも知れません。東西冷戦がすでに30年前に終結したことを、認知していないのです。当時は、日本も「西側」すなわち資本主義側でした。しかし現在、「西側」といえば欧米を、軍事的にはNATOを指しますから、日本は西側ではありません。鏡を見れば、判ることです。さらに広島でのG7を機会に、東京にNATOの事務所を設立する案が出て、日本側には期待する人もいましたが、NATOの会議において、フランスのマクロン大統領が、「NATOのNAは北大西洋という意味だ。」と発言して、一発で立ち消えになりました。

 つまり今の日本は、単独で独自の文明を築いたにもかかわらず、時間も場所も認識できない重度認知症に罹患しているのです。どうしてこうなったか、それは敗戦後の日本が、日米安保世襲制民主主義によって糾(あざ)なわれた縄で宙ずりなっているからでしょう。縄を構成するこの2つの要素は、自己存続のために互いに相手を必要とする相互補完関係にあり、とても相性が良いのです。またこうして国民国家を宙ずりにしておけば、日本政府は統治者として考える必要もなければ、自分の足で立つ必要もありません。こうした状態が、すでに70年以上も続いているのです。

 ところが縄にも耐用年数がありますし、足は廃用性萎縮が相当に進行しているでしょうから、縄が切れて落ちて、多発外傷を起こす時期が迫っているでしょう。「80・2.0の壁」を越えるには、豊かな社会を築くのが最も確実で、私たちは、その先頭に立っているわけです。それは単独で独自の文明を持っていますから、核武装論も出てきますから騒然となるでしょうが、独自の防衛力を持って永世中立国を宣言して、全方位的に交易をおこなえば、それが最も平和で豊かな、世界のお手本となる社会ができるでしょう。日本に不足しているエネルギーと食料を豊富に持っているロシアはすぐそこにあります。すべて揃っています。不気味だったソビエト連邦は崩壊し、東西冷戦はすでに30年前に終結しました。歴史の檻(おり)に自ら入り込んで鎮座する必要はないのです。檻を出て、「ワの国」を取り戻さない限り、日本の復活と豊かな社会への道には到らないのです。このまま少子化が進み、移民がふえれば、オーバーツーリズムともいわれる現在の旅行者が定住者になった状態が、1世代か2世代後には出現します。かつて固有の文明を築いた日本人は、自耕自給の田舎暮しをするか、都市部に住み時給千円で「おもてなし」をするかが、大多数になるでしょう。田舎は旅行で訪れるのと暮らすのでは、雲泥の差があります。また「おもてなし」派も、硬いベッド一つだけのドミトリーに住んで、昆虫粉末からできたクッキーを食べながらスマホを見るだけの生活しかできないでしょう。つまり、このままでは、かつて高度な文明を持っていたはずの南米のインディオの現在の暮しが、私たちの子孫の写しなのです。