少子化の正体

「80・2.0の壁」とは?

環境収容力という制約

動物でも、寿命が長くなれば出生率は下がる。

 先に動物たちの寿命と出生率を見てみましょう。動物たちの出生率は寿命と負の相関を示しています。単純化した表現では反比例しているのです。例えば家に棲むクマネズミは、寿命3年程度で、同時に4-5匹の仔を一年に4回出産します。イヌ・ネコ・ブタも寿命10年程度で、1年に1回と頻度は減りますが、多胎出産です。ウシのサイズになりますと、寿命は10年を越え単体出産です。もちろん人間と同じように、偶発的な多胎出産は起きます。

さて、寿命70年のゾウの群れは母系社会です。何組かの母子の集まりを形成しています。この群れの中から、交配可能な個体が選ばれます。メスが発情期を迎えると、オスが群れの周りに現れます。たいてい複数のオスが表れて、牙を折るほどの争いのあとに、オスにとっても貴重な交配の機会を手にするわけです。オス・メスともに、自由に交配できるわけではないということです。

 ゾウが性的に成熟するのは10歳以降で、しかも妊娠期間は22ヵ月ですから、多くても3年に一頭しか産めません。

 加えて、ゾウは寿命が長い分だけ成長も遅く、成獣になるのに10年かかります。その間、肉食獣に捕食されないように、母ゾウに守れて暮らします。まさしく大きな赤ちゃんです。  

ここでゾウの少子化の原因を整理しますと、晩婚・非婚そして子育てに年月がかかる、ということになります。現在の人間社会に良く似ています。

環境収容力は生物の繁殖力よりも小さい。

 ゾウとネズミでは、妊娠期間が違いますから、同じようには産めないとしても、ゾウが自由に交配して群れ全体が可能な限りの出生率を達成したらどうなるでしょう。数10年もすると、サバンナはゾウで埋め尽くされるでしょう。そして草や果実を食い尽くし、ほかのサバンナへ移動することになるでしょうが、そこでもすでに同じことが起きていて、ゾウは絶滅の淵に立つでしょう。気候の変動で干ばつが続けば、この悲劇はさらに加速します。

 つまりゾウに少子化を促しているのは、サバンナつまり生存環境だと言えます。ネズミはただひたすらに産み続けていますが、家の中がネズミであふれているかというと、そうでもありません。エサを始め、生存環境に制限されて、仔は育っていないのです。

 ではネズミはバカな選択をしているのかといいます、そうでもありません。弱く短命の生き物にできる、種として生き残るただ一つの手段は、多く産むことなのです。動物たちの環境収容力は、人間による破壊がなかったとしても、気候変動によって変化します。この変化に強いのが、ネズミで弱いのがゾウです。なぜなら長寿少子のゾウは、世代交代のスパーンが長く、かつ次世代が少ないですから、再生産性が低く絶滅しやすいのです。

 事実として、現在の東京周辺で、ナウマンゾウの化石が見つかっています。また時代は下りますが、日本海側ではマンモスの化石も複数個所で発見されています。おそらく気候変動が原因とされますが、すでに絶滅しています。いっぽうで、産めるだけ産むネズミ類は生き延びているのです。

 さて人間社会を振り返っても、農業から工業への産業構造シフトが進展するとともに、環境許容度は上がり、まず寿命が伸びて、人口は激増期に入りました。しかし、その拡大した容量も、人口の増加によってすぐに埋められてしまいます。いうなればサバンナがゾウではなく、人間によって埋め尽くされたわけです。人間の排卵周期は4週間で、妊娠期間は40週間とまったく変化していないのですが、ゾウ並みに少子化が進行しています。つまりは、生物学的なセオリーが人間社会にも働いて、環境収容力が出生率を抑えているということでしょう。 

日本での少子化の始まりは大正時代

 日本での少子化の起点は、70年代半ばからとか、あるいは90年代からだとか言われますが、人口1000人あたりの出生率がピークを付けたのは、1920年(大正9年)でした。それから度重なる動乱と戦争の期間は、出生率は乱高下しながらもこの年を越えることはなく、また戦後のベビーブームですら、1920年に付けたピークを越えてはいません。なぜ大正時代に少子化が始まったのでしょう。

 人口学者のエマニエル・トッドによりますと、世界のほとんどの国で、女性の識字率が50%を超えると、30年ほどして少子化が始まったようです(#1)。識字率とは、その国の教育レベルを計る古典的な指標でしょう。ちなみに日本の男性の識字率が50%を超えたのは、1870年ですので、すでに江戸時代末にはたいていの男性が読み書きできていたということになります。たいていの国で男性の識字率が50%を超えると、40年ほどで工業化が始まっているといいます。

 さて、女性の識字率が50%を超えたのは、男性から30年、おおよそ一世代経過した後だったということになります。そしてこの世代が社会人になる頃に出生率は反転下落を始めたのでした。

 現代の日本においても、男性に1世代遅れて女性の大学進学率が50%になってきました。そしてますます少子化は進行し、高学歴・高収入の女性ほど、未婚で子どもを産まない傾向がみられています。そしたら「バカが子どもを産むのか。」という、うかつに答えると炎上しそうな疑問が出てきます。

 しかし一方では、北欧に代表されるような、女性の進学率や社会進出率が高い国の出生率は、日本に比べて相対的に高いという現実もあり、「バカが産むのか、利口が産むのか。」といった、命題はそれそのものが的外れだということになります。とはいえ、女性の識字率上昇と出生率低下が同じ時系列に乗っているのは事実ですから、何かもうひとつのファクターを媒介して、そこになんらかの関係性があるのかも知れません。

大正バブル

歴史は繰り返すとすれば、大正期は80年代バブルに良く似ています。ヨーロッパが第一次世界大戦に突入し、工業生産力のすべてを軍事に投入しましたから、石鹸や歯ブラシ・タオルといった日用品が世界的に不足しました。日本がそれらの生産を引き受け、好景気に沸いたのです。国としても、日露戦争の外貨建て戦費負債に苦しんでいたのが、返済をすませ明るい時代の到来でした。

米国は、この大戦で英仏に融資し、武器を輸出していましたから、アメリカ覇権の契機になりました。戦後も荒廃した欧州とは対照的に、国内は無傷でしたから、覇権国に浮上して来ました。戦争も終わったのですですから、金融を引き締めるべきだったのかも知れませんが、そのまま放置され、日米ともに20年代バブルに突入しました。米国では、T型フォードが一般市民にもローン付きで売れ、靴磨きの少年も株談義をしていたと言われる時代の到来だったのです。

日本でも、高等教育を受ける女性たちが増え、彼女らは、女性では宮廷の女官だけに許されていた袴を着るようになりました。現在の、女子学生たちの卒業式に人気の袴姿の原型です。卒業すると、企業の事務員として就職したのです。そこで、エリートとしての給与をもらい、モダンガールやハイカラさんといわれる服装に身を包み、時には映画を見て、レストランに行くという勝ち組パターンを形成しました。一方の地方部では、盆と正月だけコメの飯という、明治期と変わらない生活でしたから、都市と地方の生活格差は開く一方でした。

また民主主義もカネ次第ですから、社会が豊かになるにつれて、女性の参政権運動も盛り上がりをみせました。 

Whipediaより転載。 センスよりも、おしゃれを楽しもうとしていることが素敵



その一方で、東京では電灯が普及しましたから、残業時間が増え、労働時間が長くなっていきました。出生率はピークを付けたとはいえ、すでに生まれていた学童は、増加の一方でしたから、学校教諭の仕事量は増え、残業は増える一方だったのです。まさしくバブル期に流行った「24時間戦えますか?」状態だったわけです。

しかも教諭の残業代が支払われない。払わない理由として「先生は聖職だから。」という空気を広めました。つまり使命感とやり甲斐を与え、「残業代など、ケチなことを言うな。」ということです。つまりは「サービス残業」もこの時代に始まっているのです。

現在の労働基準からしますと、たいへんなブラック職場ですが、女性たちの中には、結婚しないで仕事を続ける人たちが現れて、「職業婦人」といわれていました。つまりそれまでの「縁がない」非婚から、自由な意思による非婚化の萌芽といえるでしょう。彼女らがなぜ、職業婦人を選んだのか。それの答えは、現在の高学歴・高収入「職業婦人」たちに聞いてみるのが良いでしょう。

大正バブルの崩壊

  明治期からの工業化に成功し、日清・日露戦争の時代も過ぎて、ハイカラさんが街を行く時代になり、やっと日本の夜明けを感じさせましたが、暗黒の時代はこれからだったのです。

 ことの発端は1929年のニューヨーク株式市場の歴史的暴落でした。これが世界恐慌の号砲とされています。ヨーロッパの戦争が日本に好景気をもたらしたように、すでに日本は世界経済の一角を占めていましたから、世界恐慌の影響を受けて、昭和恐慌へと向かいます。当時流行の映画タイトル「大学は出たけども」というのが当時の社会を映し出しています。当時としては超エリートの大卒にも就職先がない、すなわちバブル後の就職氷河期の到来です。

この時代を生物学的なセオリーで説明しますと、経済が縮小しましたから、環境収容力が急激に落ちたのです。モダンガールはモンペ姿に、ボーイたちは、丸坊主に国民服へと時代は逆流しました。環境収容力を増やすか、すなわち経済を回復させるか、あるいは繁殖力を落として人口を抑制するか、平常にもどる道はありません。しかし当時の急激な恐慌は、産児制限をしてももう間に合いませんでしたから、戦争による人口削減が世界規模で起きたということではないでしょうか。

 第2次世界大戦は、帝国主義と民主主義の戦いといわれていますが、それは全体像の一面でしかありません。実質は生存闘争でしょう。チャールズ・ダ―ウインは「種の起源」の中でこう述べています。「生存闘争は異種間よりも同種間の方が激しい。なぜなら同じところに棲み同じものを求めているからだ」。当時の世界が奪いあっていたのは、石油だったでしょう。

 ところで2022年の暮れに、芸能人のタモリが「23年はどんな年になるでしょうか」と聞かれて、「新たな戦前」と答えたことが話題になりました。確かに、大正バブルを平成バブルに置き換えると、これまで述べましたように、よく似ています。バブル期に隆盛を極めた、きらきらの女性たちは姿を消し、ファッション雑誌も廃刊が相次ぎ、モンペや国民服ではありませんが、ユニクロが繁栄しています。

30年もの間、賃金は上がっていないどころか、非正規雇用では低下していますから、「贅沢は敵だ。」「不要不急の支出は自粛」が国民全体に浸透して、ますます消費を減らして、経済成長は負のスパイラルに入り込みました。

 その中でも、少子化によって若者人口が自然に抑制されていますから、社会は平穏なのです。環境収容力に合わせて、人口を抑制できている状態と言えるでしょう。

 よく似た時代ではありますが、戦前は居場所がない若者が溢れていました。人口ピラミッド上の若年層に「膨らみ」を作りますから、ユースバルジといわれ、活力がある反面、動乱や戦争が危惧される兆候とされています。

 確かに防衛費を増やして税金をチューチュしようとする勢力は内外にいますが、現在は少子高齢化で、行き場のない高齢者があふれていますから、「新たな戦前」は心配し過ぎではないでしょうか。