少子化の正体

「80・2.0の壁」とは?

初婚年齢と生涯未婚率の上昇

なぜ結婚しないのか?

 出生数の低下の原因として挙げられるのが、「平均初婚年齢」と「生涯未婚率」の上昇です。わかりやすく50才以下の人口階層を配偶者の有無によって、3つのグループに分けます。

生涯未婚者層の拡大

 この中で出産子育てを担っているのは、言わずと知れた既婚者のグループです。このグループは平均して1.9人の子どもを儲けています(2021年)。ちなみに50年前は2.1人でしたから、結婚したカップルの子ども数には1970年代後半から、少子化を説明できるような、大きな変化はみられていません。かつては一人っ子よりも、3人以上の家庭が多かったけど、今はその部分がわずかに逆転しているということでしょう。

 平均初婚年齢は、確かに過去50年間で徐々に上昇して、現在、男女ともに30才程度です。この結婚の遅れが、少子化の原因だと言った副総理がいますが、ただの短絡的思考からでしょう。なぜなら結婚したカップルが希望する子ども数は、平均して2人程度だからです。少し早く結婚すれば早く産み終わるというだけです。

 晩婚化は先進国に共通の流れですから、寿命が伸びたからかも知れません。寿命の伸びは、単に高齢者が長生きするというだけではなく、乳幼児死亡率は低下し、どの年齢層も間延びしているということです。2人の子どもを産んで育てるなら、30才までに結婚すれば良いと考える若者は少なくないでしょう。それまで人生のモラトリアム期を好きに楽しめばいいわけです。

生涯独身の増加 縦軸:未婚%) 横:暦年 資料:国立社会保障・人口問題研究所



 少子化が進展している大きな要因は、生涯未婚率の上昇でしょう。生涯未婚率とは、ご周知のように50才まで、一度も結婚せずに独身のままでいる人の割合です。85年までは生涯未婚率は5%以下で、結婚は時間の問題でしたが、時間切れになる人が増えたのです。直近の調査では男性28%、女性17%です(2020年 厚労省) 。もちろん、50才過ぎて縁が出てくることもあるでしょうが、ここでは出産子育てに影響する結婚に的を絞っています。

 

見えない婚姻の制限圧力

 では生涯未婚率はなぜ増加しているのか、そこに少子化・人口減少につながる問題の本質があるでしょう。もうすでに20年前から、この傾向は男性に顕著に表れていました。当時の内閣府も調査にのり出したところ、「いい人に巡り合わない」「お金がない」「めんどうだ」などの、声がアンケートで浮かび上がりました。これをうけて、「出会いの場」を提供して、「異性との接し方」講座みたいなものを開催した自治体も出てきました。いまはそうしたホールは「シルバーサロン」になっていることでしょう。

 また収入との関連性もすでに十分指摘されています。35才男性で、非正規雇用・年収300万円以下の人が結婚する可能性はほとんどないという結果でした。非正規雇用というと、やはりヘーゾーが悪いのか、という印象をお持ちの方も多いでしょうが、ヘーゾーは確かに火事場ドロボーですが、放火したわけではありません。

 実は、生涯未婚の増加には「結婚の制限」という力が働いていると思われます。論旨に再現性を持たせるために、「婚姻の制限」について広い視野でみてみましょう。

 希望するほぼ全員が結婚できるようになったのは、工業化が始まった明治期のことです。多くの人たちが仕事に就くことができ、家計を回せるようになったからです。その結果として日本の人口は加速的な増加フェーズに入りました。

 それ以前の江戸期にも人口は緩やかながら、増加はしていましたが、定住農耕時代ですから、飢えを防ぐには作物とりわけコメの増産に合わせるしかなかったのです。結婚の制限圧力とは、だれも意識していなかったでしょうが、田畑を継ぐ当てがない若者たちは、江戸や京都・大阪などの周辺農村部から都市へと出稼ぎに行ったのです。1年から5年で里に帰ってまた出るという繰り返しも多く、少し年をとってから結婚する者もあれば(初婚の遅延)、独身のまま都市部で働き続ける者もいたようです(生涯独身)。俗にいう「江戸っ子は宵越しのカネは持たない」とか、「三代続けば江戸っ子」というのは、江戸には生涯独身者が多く、子孫は残らないことを意味しているようです。

 一方の九州を中心とする西日本には江戸や上方に匹敵する大都市がなかったためか、独身のまま長男の家の手伝いをしならが一生を終える人も多かったといいます(6)。

また動物たちにも交配の制限はみられます。たとえばハーレムを形成するオットセイでも、群れの個体数は一定ですし、雌雄混在のサルの群れも同じです。交配はそれぞれの習性で自然に制限されているのです。そのことによって個体数の無秩序な増加を抑制して、群れを一定に保っているのでしょう。

 つまり人間であれ動物であれ、生活資源が人口あるいは個体数を制限していて、その制限する一つのメカニズムが婚姻の制限、動物だと交配の制限です。

現代においては生活資源を計るひとつの指標はGDP(国内総生産)です。もちろんこの指標が完全というわけではなく、広く公表されていて使い勝手が良いということです。

 

必要以上に出生数は減っている。

ここで私の考え方をひとつの概念式に集約しますと、次のようになります。

 

出生数×平均寿命∝生活資源(GDP)

 

「何人が平均して何年生きるだけの生活資源があるのか」ということを示しています。たとえばわかりやすく定住農耕時代だと、豊作が続けばそれに連れて左辺側が増加しますから、祖父母は長生きし孫も増えます。しかしながら、不作が続くと飢饉になり、これが逆回転します。すなわち祖父母は早世し、無理に子を産んでも育たたず、人口は減少します。江戸期には歴史的な飢饉が3回記録されていますが、局地的なものは幾多に及ぶでしょう。そうしたメカニズムも、この概念式に集約されています。

 さて現代にもどって、こうした視点から、改めて生涯独身率の推移をみてみましょう。1990年がトレンドの起点になっています。それまで男女ともに5%以下だったのが緩やかに上昇に転じます。90年から凶作が始まっているのです。やはり「失われた30年」と重なります。

 90年に50才になった人たちが35才になったのは75年ですから、その頃から経済は低成長に入っていたと言えます。男性で20%・女性で10%を超えたのは2010年です。この年に50才になった人たちは、1990年に30才でしたから、バブル崩壊時に独身でそのまま時が流れたと言えます。

 失われた30年のど真ん中で、平均給与は全く上がりませんでしたから、非正規労働者を中心とする平均以下の給与では、無理に結婚しても家計は火の車ですから、江戸や上方に出稼ぎに出て生涯独身という、江戸時代と同じ構図に陥っているわけです。

 もちろん経済力はあるけど、結婚よりほかにやりたいことがある、あるいは交際相手はいるけど結婚に魅力を感じないという人も少なくはないでしょう。しかしこうした心理を追いかけても、再現性のある原因の同定には結び付きません。なぜならオットセイやサルはもとより、生涯独身だったかつての「江戸っ子の心理」は知るよしもないからです。

 つまりまとめますと、所得が増えていませんから、自分自身が生きていくのがやっとで、結婚して子どもを持つことはできないのです。こうした一人ひとりを集めたのが社会です。

 出生数と平均寿命で、日本の失われた30年を振り返りますと、90年には出生数120万人が平均79年生きられる分の生活資源がありましたが、2021年には出生80万人が平均85年間です。経済が停滞するなかで、平均寿命が伸びた分だけ、出生数にシワ寄せが来ているようにみえますが、実はそれ以上に出生数は抑制されています。

 出生数と平均寿命の積でみますと、90年が9480万であるのに対して、2021年には6800万に減少しています。85才に寿命が伸びたのなら、出生数は110万人でなければいけません。

 そうならないのは、配分率に問題があるのでしょう。この30年間に、消費税も社会保障費も倍増しましたが、国民への再配分は減っているのです。じつは政府は、少子化対策ではなく、力いっぱいの「少子化推進策」をやって来たということです。このテーマについては、また別の機会にしましょう。