少子化の正体

「80・2.0の壁」とは?

急がば廻れの少子化対策

 「急がば廻れ」とは、周知のように「急ぐときは、近道や危険な方法を選ばずに、むしろ回り道でも、確実で安全な道を通ったほうが、結局は早く着ける。」という意味です。だれでも、知っている諺ですが、つい近道を探してしまいがちです。少子化対策も近道論が多くみられます。たとえば外国の事例をひいて、婚外子を増やせ・子ども手当を出せ、いっそのこと移民を増やせといった論調です。これらの政策に、仮に間違いはないとしても、危険な近道です。なぜなら、それで出生率がいくから上がったとしても、既存の人々にとって、かえって生活しにくい社会に向かえば、そのことがブーメランとなって、かえって婚姻や出生数を抑えるからです。科学技術とは異なり、違う文化圏の少子化対策を持ち込んでみても、根付くとは限らないのです。私たち自身が道を探さなくていけません。もっとも道はありませんから、ルートを探すということです。ルートを探す上で、最初にすべきは、私たちは今どこにいるのかを知ることです。そのためには、ぼやけた広域地図から、少しずつフォーカスを絞った方が無難でしょう。

 これを少子化対策にあてはめますと、日本文明・時代の趨勢(パラダイム)そして最後に政策へとフォーカスを絞れば、何かの気づきがあるかも知れません。まず、文明視点から、「私たちはだれか、どこから来たのか。」 そのことを再認識すれば、 混迷をぬけて、意識を取り戻ける可能性があります。

  単独で固有の文明を持つ

 さて現在のところ、「80・2.0の壁」を越えた国はありません。この壁を越えられる可能性が最も高いのは、私たちの日本でしょう。なぜかといいますと、サミュエル・ハンチンソンが指摘いているように、「単独の文明」を持っているからです。彼の世界的に有名な説によりますと、世界は西洋文明・イスラム文明・中華(儒教)文明・ヒンズー文明などを初め、8つの文明で形成され、その中には中国・インド・ロシアなど、それぞれの文明の中核国が存在するものもあれば、西洋文明やイスラム文明など、中核国が判然としないものもあります。

 こうした中にあって、日本は単独で「日本文明」を築いていると、言います。一部の学者は、日本は中華文明の派生だと主張しているようですが、ハンチンソンのみならず、多くの学者が日本は単独文明だという点では、一致していると言います。ハンチンソンによりますと、確かに日本文明は中華文明から派生したが、西暦200年から400年にかけて現れました。その時代から今日までの、短くても1600年もかけて、数多くの内戦を繰り返しながらも、今日の社会を形成したことになります。すでに単独文明ですから、中核国の地位をめぐる争いはありません。かつ、島国ですから、大陸の揉め事に、幼稚な善悪二元論を根拠に不用意に首を突っ込まない限り、「文明の衝突」もないのです。つまり自ら壊さない限り、もっとも平和を享受しやすい立場にあるわけです。

 さらにすでに単独文明ですから、民族や宗教間の争いもありません。同じ民族で同じ言語そして先祖崇拝と多神教という、似かよった宗教観を共有しているわけです。私たちには、空気のように自然に存在するかのような錯覚を与える、ほぼ同一民族・同じ言語・同じ宗教観の社会は、歴史的に多くの血と汗を流して先祖たちによって築きあげられた日本文明の中核なのです。こうした国は世界で日本だけです。

現在においても、民族・言語・宗教の同一性を求めて、多くの地域で紛争が起きています。たとえば旧ユーゴスラビアです。バルカン半島に位置するこの地域は、すでに千年以上も前から、民族と宗教がモザイク状に入り組んで、100年前には「ヨーロッパの火薬庫」と言われていて、実際に第一次世界大戦の引きガネになった「サラエボ事件」が起きた地域です。東西冷戦の頚木が外さされると、民族・宗教の同一性を求める紛争が散発して、近隣の大国が武器や資金を援助して、火に油を注ぐ状態が繰り返されています。ではなぜ、同一民族・同一宗教での国家を求めるのでしょうか。それは、その方が生活しやすいからでしょう。「話せばわかる」と互いが信じている隣人との口論はあっても、暴力沙汰には、めったに及びません。

日本はすでにこの状態を達成している稀有な国なのですから、「80・2.0の壁」を越える方法を、落ち着いて考えられる環境にあるわけです。

米国覇権から多極化への流れ

次に、時代の趨勢(パラダイム)を俯瞰してみましょう。東西冷戦が終結しますと、文明間での衝突や文明内での中核国になるための争いが増えて来るだろうというのが、ハンチンソンの説でした。一方には、東西冷戦後の世界は、国境すら無くなり、ひとつの世界になる。その中心はワシントンD.C.だという、いわゆるグローバリズムも隆盛を誇りました。日本は、後者に追従しました。明治期以来、強い国に従うという政策で、日英同盟三国同盟・日米同盟を軸に外交政策を実施してきましたから、米国追従は、是非はともかく自然な流れではあります。これらの同盟のうち、ドイツとの同盟は失敗でしたが、当時のドイツは破竹の勢いでヨーロッパを占領していましたから、「いける」と踏んだのでしょう。したがって現在の米国追従も、どちらに転ぶかわかりません。戦争に巻き込まれるという事態になれば、出生数どころか平均寿命も、当然ながら短縮するわけですが、そうではなくても、失敗に終われば、今後の人口動態で出生数と平均寿命にその結果が表れるでしょう。

 少子化の進行はこれまでのトレンドでもあり、因果関係は不明瞭でしょうが、平均寿命は東日本大震災や新型コロナによる影響を除けば、基本的に伸びる傾向にありましたから、議論の対象になるでしょう。もっともマスコミ上では、独居による高齢者の孤独や、生活苦のために通院を中断した人が増えたからだ、といった論調が主流にはなるでしょう。しかし、そうした事態は、外交政策の失敗による経済力の低下が背景になっているのです。

「80・2.0の壁」を越えるには、経済力を上げて配分すれば良いのですが、それとは真逆に国民負担を増やして、外国にばらまいているというのが世論でしょう。

 米国追従は危ういのではないか、という雲行きになってきました。というのは、もともとグローバル・スタンダードとは、アメリカ・スタンダードの押し付けだという反発もありましたが、今般のウクライナ戦争やパレスチナ紛争で、米国覇権の揺らぎが、私たちにも認識できるようになったからです。具体的には、米国主導でロシアへの経済制裁に加わったのは、ほとんどがG7と西欧文明圏です。世界人口に占める比率では20%未満で、残りの80%以上の人口を占める国々は、米国の依頼を聞いていません。こうした人口比になるのは、人口大国が含まれるBRICSとアフリカ諸国をはじめとするグローバルサウスが、参加しなかったからです。またGDPでは、1980年には、G7で世界の半分を占めていましたが、現在では30%にまで低下しています。

  またガザ紛争にしても、「天井のない監獄」に閉じ込められた多くの子どもを含む市民が、餓死寸前の状態に追いやられたうえに空爆を受けていて、世界はイスラエルに対して人道面からの停戦を求めています。しかし米国務長官が、何度現地を幾度となく訪問しても、右往左往しているかのように見えるだけで、砲火を止めて事態を鎮静化させる能力は、政治力の面でも軍事的にも、もはやないように見えます。

 つまり冷戦後の米国覇権も賞味期限が切れかかり、世界は多極化へ移行しつつあるのです。ハンチンソンがいう「文明の衝突」の前段階で、文明圏による多極化に向かっているといえるでしょう。

そうしますと、地理的にも文明的にも、日本と韓国の追従が不自然で、むしろ自国経済へのダメージが懸念されます。加えて、ガザ紛争では、日本政府は、イスラエル支持を表明していますが、石油の97%を中東のイスラム圏に依存しています。

 なぜこうした選択になるのでしょう。それは国全体が認知症を患っているからかも知れません。東西冷戦がすでに30年前に終結したことを、認知していないのです。当時は、日本も「西側」すなわち資本主義側でした。しかし現在、「西側」といえば欧米を、軍事的にはNATOを指しますから、日本は西側ではありません。鏡を見れば、判ることです。さらに広島でのG7を機会に、東京にNATOの事務所を設立する案が出て、日本側には期待する人もいましたが、NATOの会議において、フランスのマクロン大統領が、「NATOのNAは北大西洋という意味だ。」と発言して、一発で立ち消えになりました。

 つまり今の日本は、単独で独自の文明を築いたにもかかわらず、時間も場所も認識できない重度認知症に罹患しているのです。どうしてこうなったか、それは敗戦後の日本が、日米安保世襲制民主主義によって糾(あざ)なわれた縄で宙ずりなっているからでしょう。縄を構成するこの2つの要素は、自己存続のために互いに相手を必要とする相互補完関係にあり、とても相性が良いのです。またこうして国民国家を宙ずりにしておけば、日本政府は統治者として考える必要もなければ、自分の足で立つ必要もありません。こうした状態が、すでに70年以上も続いているのです。

 ところが縄にも耐用年数がありますし、足は廃用性萎縮が相当に進行しているでしょうから、縄が切れて落ちて、多発外傷を起こす時期が迫っているでしょう。「80・2.0の壁」を越えるには、豊かな社会を築くのが最も確実で、私たちは、その先頭に立っているわけです。それは単独で独自の文明を持っていますから、核武装論も出てきますから騒然となるでしょうが、独自の防衛力を持って永世中立国を宣言して、全方位的に交易をおこなえば、それが最も平和で豊かな、世界のお手本となる社会ができるでしょう。日本に不足しているエネルギーと食料を豊富に持っているロシアはすぐそこにあります。すべて揃っています。不気味だったソビエト連邦は崩壊し、東西冷戦はすでに30年前に終結しました。歴史の檻(おり)に自ら入り込んで鎮座する必要はないのです。檻を出て、「ワの国」を取り戻さない限り、日本の復活と豊かな社会への道には到らないのです。このまま少子化が進み、移民がふえれば、オーバーツーリズムともいわれる現在の旅行者が定住者になった状態が、1世代か2世代後には出現します。かつて固有の文明を築いた日本人は、自耕自給の田舎暮しをするか、都市部に住み時給千円で「おもてなし」をするかが、大多数になるでしょう。田舎は旅行で訪れるのと暮らすのでは、雲泥の差があります。また「おもてなし」派も、硬いベッド一つだけのドミトリーに住んで、昆虫粉末からできたクッキーを食べながらスマホを見るだけの生活しかできないでしょう。つまり、このままでは、かつて高度な文明を持っていたはずの南米のインディオの現在の暮しが、私たちの子孫の写しなのです。

 

 

人口減少時代になぜ戦争? (2/2)

生存闘争は、異種間よりも同種間の方が激しい。同じ所に棲み、同じ物を求めているからだ。チャールズ・ダーウィン(種の起源より)

 前回からの続きです。さてスーダンニジェールで内乱が起きています。2年前にはマリでクーデターが起きました。これらの動乱の背景には、政治・宗教思想や経済面からのいろいろな解説が存在するでしょう。しかし人口動態の面からみますと、2度の世界大戦を始め、これまでの戦争との共通点があります。それは人口増加によるユースバルジが発生しているということです。アフリカのサハラ砂漠以南は、現在地球上でもっとも人口が爆発的増加を続けている地域です。出生率は、ニジェール6.7・マリ6.7・スーダン4.3と、世界の上位を占めています。反対に平均寿命はいずれの国も60才代です。出生率と平均寿命は、負の相関関係(反比例)を示している、下の散布図の左側に位置しています。

平均寿命:WHOによる推計値 2019年  出生率世界銀行2020年

紛争続きのパレスチナも、同じように人口増加地帯です。平均寿命が80才を越える先進国にあって、イスラエルだけが出生率2.9を保ち、人口が増え続けていました。パレスチナ人(この地域に住むアラブ系)の人口もまた、平均寿命は70才代で出生率は5.0以上を保ち、増加し続けています。いうなれば多産多死です。

ところで、ダーウインは、人間以外の多様な生物の観察の結果、表題に挙げた命題を得たのですが、このことはそのまま人間社会にもあてはまるでしょう。パレスチナという限られた土地の78%をイスラエル建国によって奪われ、残りの22%もイスラエルによる統治と入植によって囲いこまれたパレスチナ人の生存闘争が激しくなるのは、生物的な自己保存と種の保存の本能に根差していますから、報復する権利などと言っても、火に油です。国際社会で、もっともましな可決策が、もうすでに出されています。それは、2つの国家建設による安住の地をパレスチナ人に与える二国家解決(double state solution)です。今のところ、これを実行するしかないでしょうが、この案が国連で協議されると、イスラエルの意向を汲んだ米国が、拒否権を実行して潰すということが繰り返されています。ですから、このままでは、ハマスを壊滅させたとしても、他の勢力が勃興し生存闘争は継続していくでしょう。

 ガザをいったん無人化してイスラエルが占領したとしても、少なくともしばらくは、どこからともなくミサイルやドローンが飛来するでしょう。

ところで人口動態からは説明が付きにくいのは、ウクライナ戦争です。両国ともに、パレスチナから見れば広大な国土を有していますし、穀物も地下資源も、輸出するほど豊富です。また人口はむしろ減少傾向でした。ソビエト崩壊後の90年代のロシアは、経済の破綻により、国外への流出と平均寿命短縮と出生率低下によって人口は減少し続けました。プーチン大統領の時代に入り、かろうじて下げ止まっている状況です。一方のウクライナは、独立時の91年に5146万人だった人口は、2020年に4373万人になり、2023年現在は戦争中ですから、推計でいわれているのは、1800から1900万人程度だということです。この減少の要因でもっとも大きいのは国外への流出です。もっとも多い流出先はEU諸国ですが、ロシアにも500万人程度が避難しているようです。「悪のプーチンの国」に、ウクライナからのこれほどの避難民がいることからも、この戦争の背景は、日本のテレビが好きな「悪と正義の戦い」と単純化できるものではないのです。

 ではユースバルジ(youth bulge)が全くない戦争がこれほど、泥沼化しているのは、なぜでしょう。まともな仕事に就けず不満で感情が高ぶった多くの若者たちがいたとしても、かれらは徒手空拳で暴動を起こすだけです。戦争や紛争にエスカレートするのは、彼らに武器を与え煽る「戦争の親玉」がいるからです。

 ここでその「戦争の親玉」という曲を聴いてみましょう。ボブディランの有名な曲です。彼21才の1962年の作品で、背景には「キューバ危機」があったとされています。後にノーベル文学賞を受賞するだけあって、戦争の一面を鋭くえぐっています。

https://www.youtube.com/watch?v=myN_pqp6QBw

このウクライナ戦争の最も悲惨な犠牲者は、いわずと知れた非戦闘員の市民です。その裏には、はっきりと儲けた「親玉たち」がいます。なぜ死の商人らしく“こっそり“ではなく、“はっきり”なのかといいますと、企業の業績が公表され株価も上がり、隠し切れないからです。笑いが止まらないだろう主なセクターは、米国を中心とする兵器産業と、エネルギーや穀物メジャーです。この儲けから政治献金もあったでしょう。

 やっぱり戦争の親玉は米国にいるのか? という疑いが出てきます。ここで重要なのは、親玉は米国に潜んでいるということで、米国そのものではないということです。ユーチューブ(you tube)で見る限り、米国にも「ウクライナ戦争はすでに負けている。早く止めろ。」と根拠を挙げて公言している識者もいます。

 ウイルスのように米国に浸透して、国家を動かしいる勢力は、DS(deep state)とよばれることもあります。もともとは、DSというだけで、偏った思想をもつ陰謀論者というレッテルが張られていましたが、いまや現代用語になったようです。

 このように米国の世論が割れ、ウクライナ戦争は泥沼して、中東をプリンケン国務長官やバイデン大統領が訪問しても、パレスチナ紛争停戦への糸口すらもつかめない状況になっています。これは、冷戦崩壊以来、30年に渡って続いていた米国覇権・唯一のスパーパワー・パクス アメリカーナなど、言い方はいろいろですが、米国によるグローバル化と一極支配が限界を向え、多極化への流れが始まったといえるかも知れません。

 これはまた地球規模での人口動態からも見ても、必然的な転換点かも知れません。なぜなら世界中の人々は豊かに平穏に暮らしたいわですですが、それを実現した先進国では寿命が80才を越えると同時に、出生率イスラエルを除き2.0を切り、トレンドを延長しますと、民族が絶滅するのは時間の問題という「80・2.0の壁」に突き当たっているからです。確かに、グローバル化は様々な問題を噴出させながらも、人類全体の生活の底上げには貢献してきたでしょう。それは先進国が通った道ですから、すでに成功モデルはあります。しかしその先進国が「80・2.0の壁」の前で立ちすくんでいます。その先頭にいるのが、日本です。

 この壁を貫けるための答えは、各国の人々が、それぞれの宗教観・家族の在り方や文化というものを見つめ直して探すしかないでしょう。多極化と言っても、地域覇権国の台頭やブロック経済では、いつか来た道です。

 ただでさえ人口減少になる少子高齢化時代の、ウクライナ戦争やパレスチナ紛争を、人口動態から見ますと、「80・2.0の壁」を開くための、秩序ある多極化への産みの苦しみではないのかと思えるのです。

 

人口減少時代になぜ戦争? (1/2)

人口増加は騒乱のもと

 新型コロナ騒動がひとまず落ち着くと同時に、ウクライナ戦争が勃発しました。

 この戦いにも関心が薄れ出したころに、パレスチナ紛争が勃発しました。この地域では過去20年ほどの間にも、何回かの衝突はありましたが、日本での報道はないか、あってもわずかでした。

 また今年2023年に入って、アフリカのスーダンニジェールで内乱が起きています。2年前にはマリでクーデターが起きました。

ところで1992年にソビエトが崩壊し、米国覇権による「経済グローバル化」の流れでしたら、もう戦争は起きないだろうというリベラルな考え方もありました。なぜならブロック経済からグローバル経済に移行しますと、すべての国が貿易相手国になり、経済的に相互依存するからです。いうなれば「相互依存による平和」です。

こうしたグローバル化は、過去にもありました。1900年代初頭です。パナマ運河が開通し世界は蒸気船と鉄道で結ばれ、イギリスを中心にして、経済のグローバル化が完成したのでした。やはり「相互依存による平和」が来た、戦争はもうないという楽観論が唱えられたようですが、ほどなく2度の世界大戦が待っていました。

当時、グローバル経済から一転して大戦に突入した要因は、それこそ多岐に渡るでしょうし、一生かけても読み切れないほどの分析本が存在するでしょう。ここでは単純化してその要因を挙げますと、人口激増と貨幣経済の破綻ではないでしょうか。産業革命が起きると、例外なく人口が急増しました。先陣を切ったイギリスは北米とオセアニアへの入植によってこれを軽減しましたし、フランスはそれまで一人の女性が産む子ども数が、8人から9人と、ヨーロッパ最大であった出生率を抑えました。しかしすでに生れ育った若者たちが、あふれていました。15才から25才の若者の人口比が20%を超える状態はユースバルジ(youth bulge)といわれ、歴史的に革命や動乱・戦争が起きやすい社会情勢といわれています。フランスのまさにこの時期に起きたのが、フランス革命でした。映画レ・ミゼラブルでも描かれているとおり、一片のパンを手に入れるのも困難な状況に陥りました。結局、ナポレオン帝政まで入れると、200万人がこの革命で命を落としています。人口比でみますと、当時のフランスの人口は2700万人だったといわれていますから、7.4%にあたります。この死者数の人口比は、フランスにとって、このあとの2回の世界大戦によるそれよりも大きいのです。フランス革命の背景は多様でしょう。が、 だれかが「パンがないなら、ケーキを食べれば」と言ったことに怒りが爆発したとしても、その情動には数年に及ぶほどの持続性はないでしょう。やはり人口増加圧力が、動乱のエネルギーになったといえるでしょう。

 

 フランスに続いて産業革命を起こしたロシアとドイツにも、やはり人口増加圧力がかかってきましたが、入植先も植民地も、もうありませんでした。

ここで高校の世界史程度に、第一次大戦をおさらいしてみましょう。ドイツとロシアの人口増加圧力は、周辺国を圧迫します。宗教と民族がモザイク状に入り混じり貧困が蔓延して、かねてから「欧州の火薬庫」といわれていたバルカン半島で、セルビア青年がオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子を暗殺したのです(サラエボ事件)。この犯人青年は、この地の小作農の家に生まれ、9人兄弟のうち、6人が乳児期に死亡しています。親の反対を押し切り小学校に入り、森林伐採の仕事をしていた兄の援助を受けながら、中等教育を修了しましたが、まともな仕事には就けず、小規模な政治組織に傾倒して行きました。

大国が糸を引いた事件ではありませんでしたから、この青年を逮捕処罰すれば事件は終わるはずでしたが、これが3年半に及び、ローマ法王すら止められない泥沼戦争に突入しました。

 ドイツはロシアとの東部戦線とフランス・イギリスとの西部戦線と2面戦争に落ち込みました。国家総動員体制での武器の大量生産と、塹壕からの砲撃による消耗戦に入りました。ドイツでは男性は戦線に立ちましたから、国内の軍需工場での生産に従事したのは、女性たちでした。子どもを工場に連れて来て働いたのです。これが職場内に託児所が構えられた最初だといわれています

またドイツにも同盟国がありました。オーストリア=ハンガリー帝国ブルガリアオスマン帝国です。しかしこれらの同盟国はまだ近代化は起きていませんでしたから、ほぼ中世のままの軍備で、有効な戦力ではありませんでした。

結局のところ、ドイツ陣営(同盟国側)の敗北に終わるわけですが、この大戦による死亡者の人口比は市民(非戦闘員)を含めて、ドイツ陣営(同盟国側)5%、英仏陣営(連合国側)1.19%でした。連合国側の人口比が低くなるのは、米国をはじめ旧大英帝国が参戦しているからでもあります。死者数の人口比が高かったのがオスマン・トルコで、13.72%に上りました。これだけの犠牲者を出したオスマン・トルコもイギリスに降伏しパレスチナをイギリスに割譲しました。この後の第2次大戦でもユダヤ系金融機関から戦費を借りていたイギリスが、この地を借金の形に彼らに引き渡して、1947年にユダヤ人による武装入植がはじまりパレスチナの78%の土地が占領されました。翌48年にスラエルが建国され、それにともないパレスチナ人は難民化して今日まで紛争が断続しているわけです。

さて大戦が終わってみると、トータルでの債権国は米国だけでした。戦勝国の英仏ともにアメリカから資金を調達していたからです。英仏としてはドイツから賠償金を取って、米国に支払うしかありませんでしたから、ドイツには返済不可能な請求書が来ました。

一方の債権国の米国は、一人勝ちの黄金の1920代を謳歌しました。日本も、大正時代にあたりますが、戦後の荒廃で生産力を失った欧州にかわり。アジアやアフリカへの日用品の輸出が伸びて好景気になったのです。しかし1929年のニューヨーク株式の歴史的な大暴落が起きます。20年代の繁栄は、終わって初めて知るバブルだったのです。失業率は20%を越えましたから、大恐慌です。

 日本も昭和恐慌に陥ります。明治初期には3300万人程度であった日本の総人口は、この頃になりますと7000万人に達し、倍増していたのです。平均して人口が毎年1%以上増加する状態ですから、現在の人口でみますと、100万人都市が毎年70年間、出現する状態です。これは特に若者人口が多い“ユースバルジ(youth bulge)”といわれる人口動態です。

「大学は出たけども」というのが流行語になったそうです。当時の大卒はほんの数パーセントの超エリートのはずですが、彼らにすらまともな仕事がない。社会は、やはり人口増加圧力に押されます。

ハワイを始め米国西海岸から南米へと移民を出しても、すでに欧州からの入植者がいますから、出せる人数は限られて人口圧力は増すばかりでした。そして満州に目が向くのです。しかしこのことが、欧米によるABCD包囲網といわれる経済制裁に結びついて、経済が縮小しますから、相対的に人口増加圧力が強くなってしまいました。

この時代の恐慌とくに米国のそれについての研究は山ほどあり、「もっと貨幣を増やすべきだった。」という学者が多いようです。日本も同じです。金本位制の縛りを外して、必要なだけ印刷すべきだったという論を今でも見かけます。

一方には、紙幣の発行を際限なく必要なだけ実施した国がありました。ドイツ(ワイマール共和国)です。おカネがないなら印刷すれば良い。実行してみたら、結果はハイパーインフレでした。この時代の逸話がいろいろ残っています。たとえば、ビールばかり飲んでいる兄と、倹約家の弟がいた。最終的に弟が貯めたおカネより、兄が飲んだあとのビール瓶の方が価値が高かった。あるいは、給与をもらったら走ってパンを買いに行かないと、もたもた歩いている間に値上がりしていた。実際、最終的には、パンを買うのに荷車一杯の紙幣が必要でした。最終的に1兆倍のインフレだったのですから、現在の日本ですと、一個20円の卵が20兆円に高騰している感覚です。

これが財布? (当時のドイツで紙幣を背負って歩く人々)

こうした、人口激増のなかでの、貨幣経済破綻がドイツではナチス、日本では軍部の台頭の肥やしになり、資源の奪いへと突入したわけです。第二次大戦による軍民合わせての死亡者数は、資料によって変動がありますが、おおよそ日本320万人(人口比4.37%)・ドイツ900万人(同8.0-10.5%)・戦勝国ソビエトが2800万人(同13.5%)と言われています。ソビエトの主な戦場は現在のウクライナでの地上戦でした。結局のところ、人口増加に対して、それにみあうように生活資源を増やすことができず、人口を減らしてつり合いを取ったということになります。

言い換えますと、貨幣を増やすか減らすかよりも、実質的な生活資源が人間の生存には必要だとういう、当たり前の結論になります。もちろん資金の増加が生産を刺激するという反論もあるでしょうが、それとて実物資源があればのことです。

 人間は、ヤギではありませんから、紙幣を食べて生きることはできないのです。

「国土の均衡ある発展」は、打ち上げ花火だった。

都市の向かうのは人間の習性?

 1960年代にはすでに顕著になった都市の過密化と地方部の過疎化の対策として、「均衡ある発展」というスローガンが掲げられました。70年代には「日本列島改造論」が話題として沸騰しました。日本各地を高速道路と新幹線で結べば、「均衡ある発展」が可能であるということです。

 道路や新幹線網の敷設には、時間がかかりますが、すぐにできるのは公共事業ですから、土木建設をパイプラインとした予算が、地方部に配布されました。最も重要なのは、予算をその年度に消化することですから、地元の民意が対立しない事業が優先されます。その結果、全国の河川は両岸をコンクリートで固めた「排水溝」に、代わりました。たしかに県庁所在地の商店街や飲み屋街はいくらか繁栄しましたが、持続性はありませんでした。公共工事の予算が投入されたときは、賑わいますが、打ち上げ花火と同じで、持続性がないのです。

 80年代には、リゾート開発という名目で、いくつも保養施設やリゾートマンションが建てられましたが、バブルの崩壊とともに、草に埋もれた「つわ者どもが夢のあと」に変貌しました。都市部のお客がおカネを落とし、地元の人がそこで働き「東京マネー」を得るという循環は、一瞬にして潰えました。

 さらに90年代になりますと、日米構造協議による圧力で、年間20兆円もの公共事業費が10年間投入されました。その結果、一県一空港が建設され、さらに津々浦々の港湾が整備されました。しかし、空港の定期便はまばらで、漁業の就業者は減少の一途ですから、港湾は釣り堀になりました。

g やはり「仕事がない」あるいは「大学・専門学校がない。」という理由で、高校を卒業すると、都市部への人口流出は、止まりませんでした。こうした都市部への若者の移動は、古今東西で変わりはありませんから、人類の習性でしょう。

それでは、現在の人口増減のマダラ模様を見てみましょう。

図:総務省 統計局のHPから転載


これは直近2回の国勢調査を基にした、都道府県単位での人口増減を示しています。人口が増加あるいは減少がゆるやかな地域は色濃く表現されています。やはり人口は首都圏と関西圏をはじめ、都市部に流入あるいは留まっています。つまり人口過密地帯に、ますます人々は集中し、過疎化地帯では、さらに人口が減少し、これまでのトレンドが残酷なまでに強調されているということです。

 このトレンドを踏まえますと、都市部への人口集中の流れは止まらないということです。一時的にせよこの傾向が変わるとすれば、戦争や大地震など、不幸はできごとが起きた場合だけでしょう。

 また広がり方をみますと、いわゆる寝に帰るだけの、小規模で辺鄙なベッドタウンニュータウンではなく、政令指定都市から鉄道網に沿って隣県に広がているということでしょう。なぜなら日本のGDPの60%は個人消費ですから、少なくとも人口20万人から30万人程度の中核都市でなければ、居住地での消費経済は廻らず、街はシャッター街になり、人口は櫛の歯が欠けるように減っていくということでしょう。

 人口動態は環境許容度によって決まるとしますと、かつては町村にも、溢れるほどの人々が暮らせていたし、特に田畑をはじめ環境許容度が減少しているわけではないのに、なぜ。

そういう疑問が出てくるでしょう。それは一人あたりの年間消費額が、現在価値でたとえば10万円未満で、平均寿命も60才代で、現在のグローバルサウスの中でも、最貧国なみの生活だったからです。その暮らしにはもうだれも戻りたくはないですし、現在も過疎の町村に住み続けている人々は、年金や公的資金の給付を受けているひと、あるいは地域の公務員や地場事業所の被雇用者など、外部の資金循環に結び付いている人がほとんどでしょう。

 したがいまして、人口がすでに数万程度の地域で、いくら少子化対策に予算を投じても、これまでの公共事業と同じだといえるでしょう。つまり持続性が乏しいのです。こうした過疎の最終局面にある自治体では、人口の重心は80才くらいにありますから、人口の増加を図るよりも、現在の住民をいかに介護し看取るかに力点を置いた方が、賢明であると言えるでしょう。

 逆に、日本全体での人口減少を止めるのであれば、首都圏や関西圏に次ぐ、まとまった規模の生活圏を形成するうことではないでしょうか。先の人口増減分布地図からみますと、その候補は限られています。それは北から北海道・宮城・愛知そして福岡ではないでしょうか。これらの地域の中心都市は周知のとおりですから、それらの政令指定都市を中心とした生活圏の拡大が、人口増加に結び付くと考えられるのです。

ますます鮮明になる人口過密地帯と過疎地のコントラスト

「東京に来ないで下さい」

「毎日300万人が東京との往来があります。エッセルシャルワーカー以外は、東京に来ないでください。」

 これは、2021年の新型コロナパンデミック時の小池都知事の発言です。大きく報道されましたから、記憶に残っている方も多いでしょう。もちろんこれは、新規感染者を抑制するための呼びかけだったわけですが、行動制限がなくなった今も、東京都の本音かもしれません。なぜなら越境者は、都内での消費や生産には寄与しますが、住民税を支払わずに、上下水道や道路などのインフラを利用するからです。

 ともかくも、この発言の中に、現在の人口問題を解く上での3つの要素があります。まず「300万人の往来」それから「エッセンシャルワーカー」そして「東京に来ないでください。」です。

 コロナ禍でいまさらながらに多くの人が実感したのは、生活圏が都道府県の境を越えているということでしょう。生活圏とは、たとえば一日で日常的に往復できる時間距離としましょう。

 ところで2000年前後ごろ、公務員の「カラ残業・カラ出張」が問題になった時に、福岡県庁から前原市まで、おおよそ20㎞ほどの出張に、「一泊」の出張費が支払われていて、地元では大きく報道されたことがありました。しかしこれは、違法ではありませんでした。なぜなら明治期に当時の前原村への出張は一泊の距離とされて、それが100年間も改定されていなかったからです。たしかに、廃藩置県が実施された明治初期には、移動手段は徒歩か馬でしたから、日帰りの出張は、せいぜい20㎞が限界だったでしょう。 

 現在では20㎞の物理的な距離は、自動車や鉄道を使えば、1時間あれば十分でしょう。つまり時間距離は短縮しているのです。同じように東京駅や大阪駅まで一時間の時間距離であれば、通勤通学が可能ですから、20㎞をゆうに超えて生活圏は広がっています。

 つまり人々は、都道府県といった行政区割りを意識しているわけではなく、交通の利便性と住宅価格や家賃を天秤にかけて、つり合いが良いとこに住居を構えているわけです。ですから、政令指定都市3つ分の人口にあたる300万人もの大移動が毎日起きているのです。こうした生活圏が、関東では東京を中心に形成されて首都圏あるいは東京圏といわれています。「東京都」とは、行政の都合によるもので、人々の生活の都合でいうなれば「東京圏」なのです。

 ヒトが寄れば、そこにモノとカネが集まりますから、まるで磁石で砂鉄を引き寄せるようにさらにヒトがひきつけられて、首都圏は拡大しています。その結果、やはり東京を中心とする首都圏に人口は最も集中しています。

 2020年の国勢調査をもとにした確定値では、日本の人口の約30%が首都圏に住んでいます。関西圏が13.4%ですから、日本人の43%が、この二大都市圏に集中しています。

資料:2020年国勢調査

 すべての都道府県で人口減少といわれながらも、都市部では、いくらか人口が減少したといっても、いまだにむしろ人口過密問題を抱えているわけです。では、この都市への人口集中は、いつから始まったのでしょう。それは近年ですと、60年代の高度経済成長期に、「集団就職」あるいは「一家離村」として、ということになりますが、もっと古いのです。

都市に来たものは、村に戻せ

 16世紀末の秀吉による天下平定の頃に遡ります。雑兵といわれる戦場のフリーターたちは、天下統一によって戦場という稼ぎ場を失くして京や大阪に押よせて来ました。もともと戦場に行くはずだった農村部の次男三男たちも、食い扶持を求めて都市に流入しましたから、やはり都市の過密化と農村の過疎化が起きたわけです。

 そこで公布されたのが、「京に来ないでください。」という、人掃令(ひとばらいれい)です。

当時の権力者と現在の知事では、権限の大きさが違いますから、「来ないでください。」ではなく、「来るな。」また「来たものを雇うな。」でした(1)。ともかくも都市はいつの時代でも、人々を寄せる付ける引力があったわけです。

 さらにグローバルにみても、都市への人口集中のトレンドは変わりません。人口が激増し続けているサハラ砂漠以南の国々でもやはり、国内で均等に増加しているわけではなく、都市部が広がりながら増加していると言います。またそれぞれ14億人の人口を持つ人口2大国のインドと中国でも、それぞれ約5億人と9億人が都市に集中しているようです。また2050年には世界人口の70%が都市で暮らすと予測されています(2)。ここでいう都市とは、どれほどの人口規模なのかは定かではありませんが、人間は人口が多いところに、ますます集中するという傾向は間違いないようです。

 したがって、人口減少の日本でも、また対照的に人口増加のアフリカであっても、人口の過密地帯と過疎地帯のコントラストはますます鮮明になっていくということでしょう。

(1)「新版 雑兵たちの戦場」2005年 朝日新聞社 藤木 久志 著

(2)「人類超長期予測」2022年 ダイヤモンド社 ジェニファーDシュパ 著