少子化の正体

「80・2.0の壁」とは?

動物の個体数を調整するメカニズム

食物連鎖

 シシ神の森の動物たちは、山犬・イノシシ・シカ・ネズミです。姿を見せるのはこれだけですが、ほかにもウサギ・リス・コウモリなど多種が生息しているでしょう。

しかも森が侵食されなければ、これらの動物の個体数は一定で、生態系のバランスをとっていたはずです。もちろん大小の気候変動はありますから、個体数にはいくらかの増減の循環があるのですが、特定の動物が過密になったり、あるいは絶滅したりしないよう恒常性が保たれているわけです。

ではどのようなメカニズムでこの個体数の恒常性が保たれているのか。それは生物学的な難問ですが、もっとも広く知られているのが「食物連鎖」に関連した概念でしょう。この概念を最初に唱えたのは、生態学の祖ともいわれるチャールズ・エルトンでした。

20世紀初頭にまだオックスフォード大学の学生だった彼は、学術探検隊の一員として北極圏の島に行きました。そこでの調査をもとに、のちに食物連鎖という概念を提唱したのです。具体的には「無数の甲殻類は魚類の、魚類はアザラシの、アザラシは小数のホッキョクグマの餌食になる。」

つまり食物連鎖の最下位に位置する生物の個体数は多く、上位に行くほど数は少なくなる。すなわちアザラシは魚類を食べ尽さないように、またホッキョククマはアザラシを絶滅させないように、それぞれ捕食者の個体数が少なくなっている。こうして動物の群れは「個体数のピラミッド」を形成して、「食べる」「食べられる」関係の個体数比率を一定に保つことで、ピラミッドの恒常性が保たれるということです。

シシ神の森でこの個体数ピラッミの頂点に立つのは山犬です。モロ親子の3頭しかいません。頂点に立つ動物は最強であるかのように見えます。しかしそれは闘争能力だけで、個体数が少ないということは繁殖力が弱く絶滅しやすいのです。実際にホッキョククマのみならずアジアのトラそれにサバンナのライオンなど、すべて絶滅の危機です。

さて森とタタラ場の争いは、日本列島の各地で繰り広げられたのですが、ほかの動物たちはほとんど生き延びました。しかしピラミッドの頂点に立っていたはずのモロ一族すなわちニホンオオカミはすでに絶滅しています。

選択圧力

オオカミは日本に限らず世界中で絶滅あるはその危機にあります。要因は先に挙げました繁殖力の弱さに加えて、人間による「選択圧力」です。では選択圧力とは何か、まず『もののけ姫』の1シーンを回想してみましょう。

エボシの命を狙ってサンがタタラ場に侵入しました。しかし追い詰められてしまい瀕死のところでアシタカに救われます。アシタカは石火矢で撃たれながらも、なんとか逃げ切って山岳で一息つきます。その場にいたのは2人のほか、山犬とヤックルでした。ヤックルを見た山犬が「あれ食べてもいいか。」と唐突にサンに聞きます。「食べちゃダメ」サンのこの返事を聞いて、物語を見ていた多くの子どもたちはほっとしたでしょう。反対に、山犬もサンを助けようと駆け回って、かわいそうにお腹が空いていたのだ、「さあ、お食べ」と山犬に同情した鑑賞者はあまりいないでしょう。それは、私たちはたいてい「オオカミは可愛い子羊を食べる悪いヤツ」という童話を読んで育っていますから、人間の命すらも脅かす「有害獣」としての固定概念が染み付いているからでしょう。

エボシがモロを石火矢で執拗に追うように、世界中のオオカミたちには、有害獣駆除の名目で銃口が向けられたのでした。つまり羊は保護されるべきもので、オオカミは駆除されるべきものと、人間によって勝手に区分されて、追い詰められたのでした。これが選択圧力です。

細菌とウイルスによる制御

 食物連鎖をもとにした個体数ピラミッドの底辺部に向かうに連れて、生物の繁殖力は強くなっています。もっとも底辺部の細菌の繁殖力をみてみましょう。たとえば私たちの腸にも生息している大腸菌の重さは1ピコ・グラムです。これは1兆分の1gあるいは1兆個の菌を集めて1gになる重さにあたります。

さて菌が2倍に増える時間を20分、かつ誕生した菌はすべて生息するとして、1

個の菌が地球と同じ重さの総重量に増殖するのは何日後でしょうか?

答えは2日です。

 やはり底辺部のネズミは、細菌ほどではないにしても、ネズミ算といわれるほどの繁殖力があります。では捕食者がいなくなれば地球はネズミで溢れるかといいますと、そうはなっていません。環境の収容力がそれを許容しないのですが、その前にウイルスや細菌といった病原体がそれを阻止するのです。個体数が増えますと密度が上がりますから、病原体の感染が広がりやすくなります。こうして感染症による死亡で個体数が減りますと、感染力も自然に落ちて絶滅はしないよう加減されているのです。

ネズミは人家から山奥まで、幾種も生息していますが、多くの病原体を抱え込んでいます。たとえばペスト菌です。中世ヨーロッパの惨禍となったペストは、ケオビスネズミノミの媒介による野ネズミの病気でした。発祥地はヒマラヤ山脈の北側といわれています。なにかのきっかけで野ネズミが増加して過密になれば、今度はペスト菌によって増殖が制限されて、群れの大きさを一定に保つメカニズムが働いていたのです。

もうひとつの例はヒメバチとイモムシの不思議な関係です。ヒメバチはイモムシなどの体内に卵を産み付け寄生します。イモムシにとってヒメバチの卵は異物ですから免疫系が排除するはずですが、ヒメバチの卵に含まれるウイルスがイモムシの免疫系を麻痺させることで生き延びます。そればかりか孵化したヒメバチの幼虫のエサになるよう糖分も作らせるのです。またイモムシの内分泌系をかく乱してチョウに変体するのを拒むことが分かりました。

こうしてみますとイモムシは一方的な被害者に見えますが、延々と繰り返されていますから、やはり共生関係なのでしょう。イモムシのメリットは、異常な繁殖をヒメバチに制御してもらっているということでしょう。チョウは多くの卵を産みますから、増殖のアクセルだけで、ブレーキがないのです。もちろん餌の量が常にブレーキとして作動しますがそれだけです。異常な増殖が起きますと、現在問題になっている「バッタの大群」と同じで、草原を食い尽し死滅するのです。あるいは同種間での激しい生存競争が起きるでしょう。

ただヒメバチがすべてのイモムシに卵を産み付けますと、イモムシは絶滅しヒメバチもその後を追うことになるはずです。しかしそうなっていないのは、おそらくヒメバチの卵と共に侵入したウイルス感染がイモムシ側に広がると、抗体を獲得する個体が現れて、それが水平伝播してほかのイモムシも免疫を獲得するのでしょう。ただこのあとサナギからチョウへと変体しますから、免疫は次の世代には受け継がれないので同じことがくり返される。こうした推測が成り立ちます。

最後にもうひとつの例をあげるなら、やはりシシ神の森での出来事でしょう。もともとイノシシのナゴの守が、ナゴウイルスに感染していましたが、鎮西の森から一族を率いてやって来た乙事主も感染しました。イノシシたちはシシ神の森に密集し過ぎていましたから、ウイルスによる個体数の制御を受けたのでしょう。戦いの隈取りをしていたので分かりにくいですが、若いイノシシたちも感染していたはずです。 

さてこうしてみてきますと、細菌やウイルスは生態系の恒常性を守る「善なる存在」なのか、という疑問が出てくるでしょう。しかし『もののけ姫』で、森とタタラ場ではどちらが善で、どっちが悪かを論ずることができないのと同じで、生態系の因子を善悪など二律背反の二元論で論ずることはできないのです。

 ここで言えることは、細菌やウイルスは特定の動物の異常な増殖を抑制している。ただそれだけです。