少子化の正体

「80・2.0の壁」とは?

石炭から吹き出るフェノールと亜硫酸ガス

    家庭用の燃料として使用が始まった石炭は、まずレンガやガラスの大量生産を可能にしました。不純物が製品に混入しても決定的な問題ではなかったからです。安価になりますから、大火後のロンドンの街並みを木造からレンガビルへと一変させました。そのほか塩や砂糖の精製など、釜を焚く熱源としてだけなら工業にも使用されましたが、もっとも薪炭エネルギーを使う製鉄には使えませんでした。製鉄に使うと黒鉛に含まれるリンが溶け出して鉄は赤く劣化して製品にならなかったからです。やはり薪炭エネルギーに頼り続けたのでした。

この問題を解決したのが、コークスの精製でした。ちょうど樹木を蒸し焼きにして木炭を創るのと同じように石炭を乾留すると、孔が多く光沢がない塊ができます。これがコークスで、燃焼しても煙もリンも出ません。かつ火力も強いのです。さらに溶鉱炉も改良が続けられ、鉄鋼の大量生産への道が開かれたのでした。市中に鳥マスクの医者たちが現れた頃のことです。

コークスに孔ができ光沢も失うのは、コークス精製の過程で何らかの物質が石炭から揮発した結果でもあります。化学者たちは高温蒸気に含まれる未知の多様な物質に興味を持ちました。有機化学の本格的な始まりです。

そもそもの化学の始まりは無機化学で、古代ギリシャの「錬金術」にあるとされます。もともとは読んで字のとおり、安価な物質から富の象徴である金を作り出すことでした。こうした活動はやがて、イタリアを経由して西ヨーロッパへと広がっていきました。

やがて金の合成を目的とするものから「人間の肉体や魂を完全な存在に練成する試み」と、哲学的な要素が加わってきます。実際に無機物から完全な人間を創りあげようとする神の世界に挑んだ人も現れました。

錬金術イスラム世界・インド・中国へとアジアにも伝播しました。そして中国では金よりも、「仙丹」といわれる不老長寿をもたらす物質を合成する試みとなったのです。不老長寿の薬効を持つ物質を自然界に求める方法と合成するという方法の、今日と同じ製薬のふたつのアプローチがとられたのです。火薬を発見したのは、妙薬の合成すなわち仙丹術の方だったのです。

こうして無機化学の発展をみますと、人類は不老長寿に象徴される「終わりなき永遠」というものを求めて来たのかもしれません。化学とは、永遠の命・永遠の国王など、全人類の英知を集めての2千年にも及ぶカルトのようにも見えますが、必ずしもそうではなかったでしょう。なぜならこの試行錯誤の上にまず17世紀の自然科学が芽生えたからです。具体的には「33の元素」「質量保存の法則」が見出されたのです。

それに試験菅やフラスコなどのほか、蒸留装置も完成していました。コークス精製時代の化学者たちはコークス工場で研究する必要はありませんでした。実験室の蒸留装置を使って、石炭を乾留して揮発物質を発生させて分析すれば良かったのです。揮発物質の中には多くの有機物質が含まれていました。有機物質とは炭素化合のことで、二酸化炭素などの単純な酸化物は除外されます。有機物質は基本的に生物由来ですから、宇宙探索では生命体の痕跡として必ずそれの有無が調べられます。 

さてさまざま分子構造が発見されましたが、この後の工業化に最も重要なものはベンゼンでした。見ただけでアレルギーを起こす高校生もいる、あの六角形の「亀の甲羅」の正体です。この「亀の甲羅」は、人類の行く末に大きな影響を与えることになります。

やがてドイツの化学者がフェノールという物質を分離しました。和名は石炭酸で、構造式は簡単です。六角形を書いて、その中に大きく○を書き入れます。そして六角の角ならどこでもいいので短い棒を引いて、その端に大文字でOHと書けば完成です。

ドイツの化学者がこの物質を発見した当初は不純物を含んでいたのですが、フランスの化学者が単離に成功し、イギリスでゴミや汚水の消毒に使われるようになったのです。こうしてフェノールがそこかしこに撒かれました。なにせフェノールは、コークス精製の副産物として大量に発生していましたから、石炭がある限り尽きることはなかったのです。

さらにこうした生活環境の改善にヒントを得て、病院内や手術部位の消毒にもフェノールが汎用されるようになりました。

しかしペストに感染した人が治療薬として服用できるものではありませんでしたから、あくまで消毒薬で治療薬ではなかったのです。

さて有機化学は染料工業・人工繊維レーヨンそれにセルロイド・ゴムの合成など、化学工業の基礎になっていきます。そしてついに抗菌剤の合成に成功する日が来るのですが、そのときにはペストの流行はもう終わっていました。

終わらせたうちの1つは、まちがいなくフェノールだったでしょう。

      

蒸気機関の発明と改良

つぎに空からのもうひとつの消毒薬を見てみましょう。

製鉄業によってコークスは大量消費されますから石炭の需要は、いくら掘っても追い着けないほどになりました。しかしここで障害が発生します。炭鉱内に湧き出る水の処理です。石炭は周知のとおり、数億年前にシダ類の大木が倒れて幾重にも重なって埋もれたものの化石です。もととなるシダ類が多く繁茂していたのが湿地ですから、坑内に水が湧き出るのは容易に理解できるでしょう。

 石炭の使用量が加速度的に増加するにともない、炭鉱は深くそして鉱脈に沿って地下水平に長くなっていきました。どのようにして排水するか。最初は、やはり人手による汲み上げです。

こうした状況を解決すべく、1698年にトーマス・セイバリが蒸気機関を用いたポンプを開発・実用化します。これは水を加熱した時の陽圧と冷える時の陰圧を利用したもので、蒸気によるピストン運動はまだ内臓されていませんでした。それでも「鉱夫の友」とよばれ普及しましたが、パワー不足で地下30メートルが限界でした。それに対して当時の坑道は深いところですと、60メートルに達したのです。

こうしてセイバリのポンプから14年後に、ニューコメンが気圧機関とよばれる蒸気ピストン・ポンプを開発しました。さらにニューコメンから69年後の1781年に、ジェームス・ワットがこの効率を上げたのです。

ワットの蒸気機関は、水の汲み上げポンプに留まらず、さまざま産業の動力として使用されました。それまで水力で回転させていた製粉機や毛織物工場の自動織機も蒸気機関に切り替わったのです。

もののけ姫』では、尾根の上で唐傘連が焚いた嫌な匂いの煙が森に下りていました。イギリスでは、こうしてコークス工場や蒸気機関を使う工場の煙突から、煙が噴出するようになったのです。その国の工業力を見るには、煙突の数を数えれば良いといわれたくらいですから、産業革命の進展とともに黒い煙を吐く煙突は増加し続け林立したのです。そして空は、黒い霧で覆われるようになりました。

その上に蒸気機関車が煙を吐いて走り回るようになりました。炭鉱で釜戸の火を焚く労働者として働いていたジョージ・スティーブンソンが、炭鉱周辺での石炭輸送のために蒸気機関車の開発・改良を続けていたのですが、ついに広域に商用可能な蒸気機関車と鉄道を完成させたのです。

こうした革新的な産業技術の登場で、馬主たちや駅馬車の既得権者との騒動もあったようですが、ロンドンの馬も、完成したばかりの運河網も用済みになりました。またヒイ様なら馬塚を築いて弔うくらいの、おびただしい数の馬が屠殺されたのでした。

ロンドン市街から馬の糞尿が消え、衛生的になりました。代わりに地表にはフェノールが大量に撒かれ、一方の空中は黒い霧で覆われました。霧は、やがて冷えて地上に降りてきます。このなかに大量の亜硫酸ガスが含まれていますから、ノミも家ネズミもそれに人間も挟み撃ちになりました。

こうしてペストは消えたのです。

さてまとめです。フェノールの大量散布や亜硫酸ガスの発生と、ペストの消滅は時系列が合っていて、しかも両物質に殺虫・殺菌効果がありますから、因果関係が成り立っています。もちろん家の構造が木造からレンガにかわったこと、あるいはドブネズミが下水道で繁殖したことによる勢力交代で家ネズミが減少したことなどの要因も働いているでしょう。しかしフェノールと亜硫酸ガスが、ヨーロッパ全体を「消毒」し、500年も続いたペストの流行を終わらせたという推論も成り立ちます。

街からケオビスノミが消えたのは朗報でした。しかし一方で、人々は小さな昆虫すらも生息できないほど化学物質にまみれた環境で生活をすることになったのです。