少子化の正体

「80・2.0の壁」とは?

年金不安が少子化に油を注ぐ

世代間扶養の破綻

 身近な人たちと雑談している中で、年金の話題になりますと、受給世代は「年金だけでは、とても暮らしていけない。」と言い、若者は「私たちは,もらえないんでしょう。」と一様に話します。若者たちは、毎月の少ない給与支給額から、税と合わせて年金保険料を控除されながらも、自分たちには恩恵がないのでは、と危惧しているわけです。

 年金制度に不満はあっても、源泉徴取制度には勝てない。「仕方がない。」と、国教的な念仏を唱えてあきらめても、退職までにさらに「老後2000万円」を蓄える必要がある。40年間働いて、その間の消費を賄うだけでもギリギリで、65才から90才までの老後の生活費はとても捻出できそうもない。

実質賃金は上がっていませんから、生涯支出の削減に向うのは当然でしょう。具体的には、まず自家用車は持たない、衣服は最低限のもので済ませる。おしゃれ着は古着屋さんか、質屋で。リアルな交際はおカネがかかるから控えて、性別問わず、お付き合いはSNSで。素敵な人と出会って結婚なんて、おとぎ話か出会い系サイトの詐欺。信じるヤツがバカ。こうしたことが、少子化の原因の1つといえるのではないでしょうか。

 少子化と年金はまったく異なる課題のようにも見えますが、そうでもないでしょう。人間を含む生き物の生態系には、正と負のフィードバックが機能していますから、因果関係には、「風が吹けば桶屋が儲かる」くらいの距離があったりします。たとえば、沿岸の魚影を増やすために、山に木を植えた地域があります。沿岸の魚と山の樹木は一見しますと、あまり関係ないように見えます。しかし山から流れ出す有機物や昆虫のサナギに始まる生態系の繋がりが、沿岸の魚にも及んでいるのです。

 同じように、老後生活の困窮予測が青年期の意思決定にフィードバックして影響を及ぼしても、不思議ではありません。現実的に、納付側として若年者も年金制度にすでに組み込まれています。 

 では、なぜ若者たちが、「自分たちは、年金を貰えない。」と口を揃えるのでしょうか。それは、この制度が世代間仕送り(賦課方式)に比重を置いているからでしょう。毎日のように「少子高齢化」が喧伝されています。マスコミがいう「少子高齢化」は、だから「国民負担増やむなし」という官報の拡散なのですが、若者たちからすれば、自分たちが高齢になった頃には、負担してくれる世代はほとんどいない、だらか年金はなくなるという判断のようです。

 少子化はすでに半世紀前には顕著で、賦課方式では立ち行かないという議論は、遅くても90年代には散見されていました。また当時の社会保険庁のずさんな年金管理も問題にはなりました。しかし社会保険庁から「年金機構」へと、得意の看板の掛け替えで逃げ切って、現在に至っています。

 さてその年金機構のウェブページによりますと、直近(2022年)の年金給付額は、すべて大まかな数値で示しますと、56兆円です。GDPの10%にあたります。財源は20%が国庫負担つまり税金。残りの80%弱が保険料です。なぜ「弱」か、そこに年金積立金が投入されているからです。一定額や比率ではなく、不足分を適宜投入する決まりのようです。

 この積立金の略称が「GPIF」です。国民の積立金ですから、もっとわかりやすい名称、たとえば「年金投信」とでもすれば良いでしょうが、わざわざ一般高齢者ではとても覚えられそうにない英文字を使うのが、すでに怪しい。一般人を無教養と軽んじているのか、あるいは、好意的に見ますと彼ら自身が後ろめたさを感じているから、でしょうか。

 さて看板掛け替え後の2001年から22年まで運用して、100兆円から200兆円と評価額は倍増しています。新たに年金資金を投入したのかどうかは、わかりません。

 資産内容は、ざっくりと日本の株式と債券、外国(米国)のそれらに4等分されています。

 ところで、米国やヨーロッパ諸国の職域や行政単位での年金基金は多くありますが、群を抜いてダントツの金額です。日本の株式市場では、日本銀行とならび「クジラ」と言われています。 

 さて、団塊の世代後期高齢者となる「2025年」も迫り、いよいよ高齢化問題のピークに向かいます。そこでまた負担増を閣議決定して、「国民のみなさまにご理解をいただく」前に、200兆円の積立から、たとえば年間5%取り崩せば、保険料の増額も、給付金の削減もせずに、大波を越えられる。GPIF5%で10兆円ですから、年金保険料は25%も軽減できる。算数ができれば、だれでもそう考えるでしょう。

 ところがGPIFを管理する行政法人は、100年後の年金収支に目標を定めています。目先の危機よりも100年先に主眼を置いているわけです。ちなみに、国立社会保障・人口問題研究所の将来人口推計kおでは、100年後の日本人の人口は5000万人です。

 こうした理解不能な理由を並べるのは、預かったお金と、自分のものとの区別がついていないからでしょう。毒親と同じです。

 さて200兆円もあれば、運用費に年間1%使ったとしても2兆円で、福岡市の年間予算を遥かに超えています。これだけの資金を、書類さえ整えば、内部審査だけで外部からのなんの調査もなく使えるわけですから、100年間はそっとしていてほしいでしょう。

 もし万が一「いまこそ取崩せ。」という声が出てくれば、今度は「売ると、株価が暴落する、大不況になってもいいのか。」「国債を売って、国家破産したら本末転倒だ。」という「専門家」をしばらくテレビに出しておけば、熱はさめるでしょう。

 つまり年金支給額の3年分以上にもなる年金積立金は、国民の生活を改善して、少子化高齢化を乗り切る原資になる見通しは立っていないのです。

 「小さなお宝」iDeCo

年金機構の積立金運用の目標は100年後の収支安定化ですから、それまでには加入者は全員骨です。ブログでこうして政府機関を批判しても、ただの落書きですが、いま生きている環境を知るのは強みになるでしょう。

さて、生涯所得と支出を均衡させる、ひとつの方法は、生涯支出を減らすということです。その方法の1つは、毎日地味な節約を繰り返すよりも、1人暮らしをさけて、なるべく複数で生活することであると、「サザエさん一家」を例に説明しました。 

 では生涯所得を増やす方法はあるのでしょうか。確かにいま、インターネット上には、「億りびと」になって「FIRE(早期退職)」する方法を教えますとか、リスキング(学び直し)で収入アップといった多くの広告が、ポップアップしてきます。いうなれば習いたい人よりも、教えたい人が多い状態です。もちろんそのような方法で所得倍増を達成する人もいるでしょう。そうした成功はたいてい「運と才能」に恵まれた一部の人たちです。

 社会には、運と才能にも恵まれない人たちがほとんでしょう。課題は、こうした平凡な私たちの生涯所得をいかに増やすかです。そうでなければ、非婚・少子化の流れはかわりません。人口比でほんの数パーセントの億万長者たちが、多くの子どもを産み育ててくれるわけではありませんし、多額の納税をしてくれるとは限らないからです。

 むしろ運と才能に恵まれて、まとまとまった金融資産を手にした彼らの次の課題は、世界のどこに移住すれば税を取られなくて済むか、でしょう。 

 では私たちは、いかなる方法で生涯所得を増やすか、ひとつの手段は投資でしょう。それも「奥の細道」を行くような、コツコツ投資です。なぜコツコツか、それはそもそも若年層は投資するまとまった原資がないからです。投資をする上で、いま正しいとされるキーワードは3つ。長期・分散・低コストということになります。具体時にどのファンドが良いか、ネットで検索すれば条件を満たす商品が見つかるでしょう。

 それから非課税制度を利用することです。まずはイデコ(個人型確定拠出年金)です。この制度の詳細はネットですぐ確認できますので省きますが、最大のメリットは、所得控除すなわち積み立て分に税金がかからないということです。たとえば月に1万円を拠出しますと、現在の税・社会保障費の国民負担率は、46%で五公五民ですから、拠出した瞬間に46%の利益を生み出しています。4600円はわずかなものですが、これが今後40年間に複利で増える、しかも毎月繰り返しますから、60才になるころには、まとまった金額になっています。

いくつかのパターンを表に示しています。

ネット証券の公開ウェブソフトで試算

 表最下段の月1万円・40年で、年平均利回り6%ですと、「老後2000万円不安」が一挙に解決しています。60才から生涯に渡って、たとえば90才まで5%程度で引き出すとしますと、残金が運用され続きますから、何回かの暴落があったとしても、日本に限定せず世界規模で見ますと数年で回復していますから、賃金が望めない高齢期の所得を支えてくれるでしょう。いったん積み立てを始めたら、働き続けて、もう働けなくなっているだろう老いた自分に仕送りし続ける、ただそれだけです。