少子化の正体

「80・2.0の壁」とは?

シシ神はエボシの守護神だった

  日が沈み今にもデイダラボッチに変身しようとするシシ神の首を、エボシが石火矢で狙おうとした瞬間に、石火矢に草や木の芽が吹き出すように生えてきました。まるで長い年月、森に放置され風化したかのような状態に一瞬で変わったのでした。シシ神がそれほどのことを簡単にできるのなら、いっそエボシの命を吸い取ることもできたでしょうに、そうはしなかったのです。さすがの冷静沈着なエボシも動転したのか、狙いもそこそこに慌てて石火矢に火を点けたところ、不運なことにその一弾がデイダラボッチの首を飛ばしました。 なぜ不運というべきか、それはエボシがタタラ場を切り盛りし、理想の共同体を創ろうとする営みを静かに見守っていたのは、実はシシ神だったからです。

エボシが寄って立つタタラ場には、森なくしては存続できないという樹木への明らかな依存性がありました。それは大きく2つに分けられるでしょう。まず森は建設資材としての木材の供給源であること、それからもうひとつは熱エネルギー源でもあることです。

まずはひとつめの依存性です。「まるで城だな」と遠くから一見したアシタカが言ったタタラ場は、高殿とよばれる建物を中心に、堅固な門扉をはじめ外敵を阻む大きな木材による構造が張りめぐらされていました。

またエボシの命を狙って、もののけ姫ことサンが進入するシーンです。石火矢の砲撃を逃れようとサンが屋根の上を走ると、狙いが反れた石火矢弾によって、つぎつぎに破壊が起きます。つまりタタラ場の屋根は板を敷き詰め、それが風で飛ばないように上から材木で押さえた構造だったのです。つまり「まるで城」は板葺きの屋根でした。

こうして振り返りますと城は、すべて木造建築でした。このような木造建築物の最大の天敵は火災です。それさえなければ、屋根や壁は雨風に侵食されますから補修が要りますが、柱や梁などの躯体部分は悠に100年はもちます。

城は一度造れば、あとは間伐材での補修のみで済みますから、むこう100年は大木を伐採する必要はなかったのです。「切ったら植える」ただそれさえ実行すれば、また建替える100年後には大木は再生されていますから、森とタタラ場がともに生きる持続可能な関係を築けたはずでした。

つぎの依存性は熱エネルギー源としての樹木です。タタラ場とは中世の製鉄所のことですから、鉄鋼石を原料として鋼(はがね)を製造していました。鉄は酸素との親和性が高いために錆びやすいのですが、もともとの鉄鋼石も酸化鉄の分子構造をしています。

したがって製鉄は錆びることと逆の反応を起こそうと、燃焼によって酸素を消費します。そして鉄鋼を得ることができるのです。それをさらに赤く熱して、ハンマーで叩けば、さらに酸素は追い出され,、微小空洞は潰されて純鉄に近づけることができます。少量ではありましたが、現在の製鉄技術も及ばないほど純度が高い鉄を作り出せたからこそ、髭を剃れるほど鋭利な刀剣を造ることあができたのでした。 

タタラ製鉄の典型では、鉄鋼石の代わりに、渓流を浚渫して砂鉄を集積しました。それを独自の溶鉱炉に入れ高熱を加える製法だったのです。

高温の熱源は、木炭とフイゴでした。

生木は燃えにくいうえに煙が出て不純物が鉄に混じりますから、木炭に乾留する必要があったのです。が、当時はまだ炭焼き窯はなく、露天で樹木を燃やし上から灰を被せるというエネルギー効率の悪い製法でしたから、大木は必要ありませんでしたが、わずかな木炭を作るために多くの樹木を必要としたのでした。

タタラ場の屋根が板葺きだったのも、そこの男衆が食事に使っていた食器が木目が浮き出た、木をくり抜いただけの椀だったのも、木炭が貴重だったからでしょう。つまり瓦や陶磁器を作る原料となる粘土や技術の不足の前に、それらを焼く木炭が不足していたのでしょう。

 また溶鉱炉内に高温を発生させる補助手段が送風システムのフイゴでした。女衆が四日五晩踏み続けた足踏み式のフイゴが「タタラ」とよばれていたことから、タタラ場といわれるようになったという説もあります。

 さて燃料として使うだけなら、立ちそびえる巨大な樹木は必要なかったでしょう。樹齢30年もあれば十分だったはずです。

アシタカが何度か「森とタタラ場、ともに生きる道はないのか」と訴えます。それはあったのです。その答えを知っていたのが夜な夜な木を植える猩猩たちでした。森の賢者と言われたゆえんかも知れません。猩猩たちの後ろにはシシ神がいましたから、エボシの過ちを埋め合わせようとしていたのでしょう。

シシ神がもし生死を司る神なら、エボシの命を吸い取ればそれで森は守られるはずです。また一夜にして高殿の屋根も屋内も、若木が生い茂る藪にすることもできたでしょう。しかしシシ神はそうはしませんでした。エボシすらも守っていたのでしょう。

 

エボシとて、シシ神殺しなどしたくなかった

ところで木を切ったら植える、それが育つまで切らない。それがともに生きる唯一の方法です。しかし人間エボシには欲があります。もっと多くの鉄を、もっと速くという、今でいう生産性つまるところ尽きない欲望です。それに加えて、シシ神の首を取れという圧力を受けていました。

「侍との戦など、師匠連との約束を果たしてから、すればよかろう」と、地侍との小競り合いのあと、タタラ場に現れたジコ坊が穏やかにけしかけて来ました。

師匠連との約束とは、シシ神の首を討ち取るということです。つまりそこには、いまさら破れない約束があったということになります。しかしエボシは、その約束をせめて延期したかったのでしょう。「私がここで鉄を造り続ければ、森の力は弱まる。それからのほうが、犠牲が少なくて済むが・・」

森を狭めて、シシ神を追い詰めようとしていたというよりも、シシ神殺しへの躊躇がみられます。しかしジコ坊も上司からの圧力を受けているようで、「石火矢衆を貸し与えたのは、鉄を作るためではないぞ、と師匠連はいうだろうなあ。」

やがてシシ神退治に向かったエボシを探し当てたアシタカが「タタラ場が侍に襲われている、すぐ戻れ」というと、「シシ神殺しをやめて侍殺しをしろというのか」と答えます。どちらを向いても自分の意思から離れて、憎しみもない者を「殺せ」とばかり言われる運命に苛立ちを覚えたのでしょう。かつて明国に朝貢されようとする時に感じた、あの憤りがよみがえったのかも知れません。

 しかし定めに後押しされるように、ついにシシ神の首を拾い上げ、ジコ坊に向かって叫びます。「受け取れ、約束の首だ!」 もう、ヤケクソのようでした。やがて右腕を失い、焼け落ちたタタラ場に帰り着いたエボシには、喪失感よりも、すべてのしがらみからの解放感があったのでしょう。これまでで最もすがすがしい表情で言います。

「みんな、初めからやり直しだ。ここをいい村にしよう。」

エボシとて、シシ神殺しなどしたくはなかったのです。