少子化の正体

「80・2.0の壁」とは?

アシタカはなぜ、助かったのか

 「やがて骨に至り命を奪うだろう。」と、ヒイ様が予言したアシタカの右腕の赤黒いアザは最終的に薄くなり、呪いが治まったことを示しました。それはあたかもデイダラボッチの首を返したことによるシシ神からのご利益のようにも見えますが、そうではありません。そもそもシシ神は、どの命を奪い、どれを助けるなどの選択はしていません。

タタリ神となった乙事主の命を吸い取る場面がありますが、あれは乙事主への特別な感情からではなく、もう風格を持って生きることはなく、苦しむのをみかねて安楽死を与えたのです。乙事主から静かに魂が抜けて、枯れた大木のように音を響かせて倒れました。こうしてシシ神が命を吸い取ったということは、乙事主を永遠に森の中に招き入れたということでしょう。選択圧力を加えたわけではなかったのです。

アザの濃淡で診る感染症寛解と憎悪

 ではアシタカはなぜ、ナゴの守の「呪い」から逃れることができたのでしょうか。このことを振り返る前に、感染症のいくつかのパターンについて説明しなければいけません。

たとえばウイルス性肝炎という疾患があります。その名のとおり何種ものウイルスによって引き起こされます。感染しますと、まず急性肝炎・劇症肝炎・慢性肝炎の主に3つの経過をたどります。急性はいったん治癒しますとそれで終わります。劇症肝炎は、急性症状が激しい病態で、死亡することも稀ではありません。 

経過が長いために肝硬変や肝癌を引き起こすことがあるのが慢性肝炎です。これは良くなったり悪くなったりします。このことを寛解と憎悪を繰り返すと表現します。まれには急性転化といって、憎悪から急性のパターンに入り治ることがあります。

以上の知識を基に、アシタカの経過を振り返ってみましょう。エミシの村でナゴの守のタタリを受けた彼の腕には、急性炎症の症状が診られました。すなわち発赤・熱感・腫脹・疼痛などです。急性感染症なら、目先の峠を越えさえすれば軽快するはずですが、腕のアザは消えず慢性化しました。

慢性化したということは、骨に至ろうとするウイルスと、それを阻止しようとする彼の免疫機能が力価として釣り合ってしまい、決着がつかなかったということです。

アザに少しの変化が表れるのは、タタラ場に侵入したサンを助けようとして、石火矢で撃たれた後のことです。アシタカの命をシシ神に委ねようと、サンによってシシ神の森の泉に長い時間入れられた時でした。シシ神は、銃創は治しましたが呪いは治してはくれませんでした。アシタカもそう、つぶやきます。これはシシ神になんらかの意図があったわけではなく、銃創は不自然な傷ですが、ナゴウイルス感染は、シシ神の森では自然なことだったからでしょう。

気が付いたアシタカの銃創は何もなかったかのように治っていましたが、腕のアザは手の方に向かって、むしろ広がっていました。慢性化していた感染に動きがみられます。これはナゴウイルスが森の中に漂っていて、それに長時間にわたり暴露されたからでしょう。この所見は空気感染も起きることを示しています。しかし空気での感染力は弱く、森を通過するくらいで発症することはないことは、物語の前半で、崖から転落して負傷した甲六たちが無事であったことを見ればわかります。アシタカの場合は、すでに感染して抗体ができていますから、少量のウイルスにも敏感に反応したのでしょう。

もうひとつの可能性は、アシタカは瀕死の傷を負っていましたから、単に体力が落ちて慢性感染症が憎悪したということです。

 やがてアシタカのアザが本格的な広がりを見せるのは、物語の終盤です。タタリ神と化した乙事主の体から、褐色の触手が伸びてきました。無数の触手は、まるで小魚を捕らえるイソギンチャクのように、サンを深く取り込もうとします。そこにアシタカが飛び込み、サンを救い出そうとしました。同時に彼は、焼けるような熱さを全身に感じます。炎症の激しい再燃を意味しています。やがてアシタカは、サンを助け出すことなく、身震いした乙事主によって、泉に投げ出されます。

そばで目を閉じて静かにエボシを待っていた山犬モロが、「わが娘を返せ」と、タタリの中に飛び込みサンを助けて、アシタカがいる泉に投げ込みます。水の中に入ると、触手は力を失い、切れた水草のように剥がれました。感染部位の冷却と洗浄効果です。

物語の激しい展開の後に、モロに右腕を食いちぎられたエボシの手当てに衣服を脱いだアシタカの全身にアザが広がっていました。

感染症の再燃というよりも急性転化しています。それも劇症化です。それはやはり乙事主のタタリの中に飛び込んだときに始まっていたのでしょう。このときにはまだサンの体表には変化がみられません。肩のあたりに擦り傷があるだけです。

しばらして2人は、不老長寿の薬としてジコ坊が持ち去ろうとするシシ神の首を取り戻して返そうとします。ついに桶から取り出し、自らの首を捜し求めるデイダラボッチに向かって両手で高く掲げました。そすると、シシ神の首から金色の液体が2人に滴り落ちて、顔にも身体にもアザが浮かびあがってきます。デイダラボッチは、首の付け根を近づけて元の姿にもどりますが、2人は気を失いました。

2人が気を失ったのは、これまでの疲れからでも、首を返すという使命を果たした達成感からでもありません。感染症重篤化によるものでしょう。では2人の体内でどのような反応が起きていたのでしょう。2人に共通して言えることは、この感染症はアドレナリンを極限まで分泌させる作用がありますが、まだ未成年ですから、心筋梗塞を起こすリスクは高くなかったということです。また怒りや恐怖に翻弄されていたわけではありませんから、交感神経系の暴走も起きなかったでしょう。

個別に見ますと、サンは初めての感染ですから、ウイルスに対する免疫反応が正常に作動して抗体が形成されるかどうかが明暗を分けます。それに対して、アシタカは少し複雑です。

すでに長くナゴウイルスに感染して、不十分ながら抗体も獲得しています。すなわち彼の免疫系は、ウイルスの抗原性に対する情報も、それに対する抗体の情報も十分に持っています。そこに大量のウイルスが入って来たわけですから、それに反応して、短時間で大量の抗体を産生することができます。サンよりも有利な立場にいるかに見えますが、むしろ危険な状態です。

既知のウイルスが大量に侵入したことを全身の細胞に伝えるために、まず免疫細胞は化学伝達物質を分泌します。この伝達物質はいく種かあるのですが、サイトカインと総称されています。

生命の危機になりますと、頻脈になりますから、1秒もかからずに、非常事態が全身の細胞に伝えられるのです。そうしますと免疫機能だけではなく、各臓器もパニックになります。サイトカイン・ストームといわれる状態です。ウイルスに打ち勝つか、それとも免疫の過剰反応でショック死するか、あるいは多臓器不全を起こしてゆっくりと死亡するか、この一瞬で流れが決まります。

幸い2人は目が覚めます。2人ともに、ウイルス感染症から回復し、しかもアザが薄くなっていますから完全な免疫を獲得したようです。アシタカの体内で起きたことは慢性感染症から急性転化を経ての治癒だったでしょう。

こうしてアシタカは「呪いが骨に至り命を奪う」定めから解放されたのでした。