少子化の正体

「80・2.0の壁」とは?

またゾロ少子化議論 - はじめに

 経済学者が人口動態の予測をしても、当たったためしがない。1930年代には、人口の減少が経済に与える影響について論じた本が、それこそ山のように出版された。ところが10年後、第2次世界大戦が終わるとベビーブームが起きた。将来の潜在成長力がどうなるか分からないのだから、いたずらに悲観すべきではない。 元イングランド銀行総裁 マーヴィン・キング(1)

 政府として深刻な問題としてとらえているのか、または生活苦を訴える世論への迎合か、はたまた異次元の増税への布石なのか、少子化問題が急に政治的課題として遡上しています。

具体的には[異次元の少子化対策」「子どもに毎月5千円」「保育園料無償化」などの少子化対策、広く言いますと少子高齢化という人口動態上の課題に対する政治的取り組の報道が増えています。

 しかし、少子化の何が問題か。大人だけの静かな生活をお望みの方々、ご安心下さい。政府の対策で子どもは増えません。ただ外国人はますます増えるでしょうから、これまでの風習とは違う異次元の感覚は必要になるかもしれません。

 そんなこんなで、これから新型コロナから離れて、少子高齢化について不定期ながら書いていきます。

 少子高齢化という単に子どもが減って年寄りが増えている、それの何が問題か。たいていそう思うでしょう。自分には直接関係がない統計上のこと。それよりコンビニのレジ袋代が大きいものは7円もする、マイバッグを持ち歩くかどうか、それが現実的に差し迫った問題かもしれません。

 しかし、人口動態上の傾向は、知らない間にたいていの人々の意思決定に影響を与えているでしょう。たとえば「結婚は30才までにはしたい、子どもはたくさん欲しいけど、経済的なことを考えると2人かな?」これは現在のトレンドですから、流れに沿った意思決定です。また私たち中高年は「いつまで生きるのか」その予測に興味があります、しかしそれはわかりません、明日にも心臓発作や脳溢血で死ぬかも知れませんし、うかうかしているとボケボケ・よれよれながらも100才まで生きるかも知れません。

 そこで参考になるのが平均余命です。英語ではLife expectancyですから、ここは直訳して「期待寿命」とした方が、実感が出るかも知れません。現在(2022年)男性81.47才   女性87.57才ですから、それを参考に夫婦で生活費の計画を立てる必要に迫られます。

 ただこれは0歳児の期待寿命ですから、中高年はもうすこし長生きが期待できます。

それから人口動態、特に「出生数」や「平均寿命」を見るだけで、自分が生きている生活環境を知る手がかりになるでしょう。私はかつて何回か「なぜ、(医者の)あなたが人口論?」と問われたことがあります。実は、「出生数」や「平均寿命」というのは、医学分野の公衆衛生学でよく使われる指標です。その分野では、衛生・栄養・医療水準といった抽象的なものを計るひとつの“ものさし”になっています。

 人間の生存環境を政治経済にまで広げ考えてみますと、もっと見晴らしが良いのではないかと考えています。

 過去10年間で、平均寿命はわずかながら伸びています。その一方で出生数は年間おおよそ120万程度から80万人未満へと30%も減っています。これは政治経済を含む広い意味での生存環境が悪化していることを示しているでしょう。このままいくと日本人はゼロになるという予測がもてはやされるくらいですから、私たちは絶滅危惧種に指定されかも知れません。

 では、政治経済的なイベントとしてこの10年間になにがあったか。それはいわゆる「アベノミクス」。私たち一般市民が知り得るその内容は消費税増税と異次元緩和という、実はやっている日銀すらわからない、だれかにそそのかされた焚火です。子どもの火遊びだからでしょうか、自力では火消しができない。この政策があったから出生数が低下したのか、あるいはあったにもかかわらずか、今ここで簡単に論ずることはできません。

 ただポジショントークによるアベノミクスの評価を読むより、捏造が困難な人口動態指標を見る方が、現在の自分の生存環境が好ましいか、危機が迫っているか、わかるでしょう。

人口動態指標はこのように、生存環境として世相をみるひとつの、“ものさし”になるのです。

もし出生数と平均寿命の両方が下がり出すと、生存の危機が迫っていると考えて間違いないでしょう。

(1)「錬金術の終わり」2017年 日本経済新聞出版社  マーヴィン・キング著(遠藤 真美 訳)